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近世文学講義(門脇大) のバックアップ(No.12)
概要
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| 授業形態 | 対面授業/遠隔授業 |
| 日程/教室 | 水曜日 四限目/412教室(四号館一階二番教室) |
| ▼ | 小泉八雲略年譜 |
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| ▼ | 小泉八雲の語り |
小泉八雲の語り
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| ▼ | 小泉八雲と雪女 |
小泉八雲と雪女
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小泉八雲は古典作品を再話した。古典の内容と何が異なっているかに注目すると、その話の変化の仕方に気付ける。
小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「葬られた秘密」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)
[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)による。表記・送り仮名を改めた。]
(要約)
昔、丹波国に稲村屋善助というお金持の商人が住んでいた。善助にはお園という娘がいた。
娘は父が家族ぐるみでつきあっていた友人で長良屋という者と結婚した。そして四年近く幸深い暮しを送った。
二人の間には男の子も一人生れた。だがお園は病気にかかり、亡くなった。
お園の葬式をすませた日の夜、亡くなったはずのお園が衣裳や手道具類がまだ納めたままになっている箪笥の前に立っている。
死人が自分の持物に執着するのは良くあることで、解決するには調度類を菩提寺に納める必要がある。
故に遺族はお園の衣裳道具を禅宗の菩提寺に納めた。しかし、お園の幽霊は消えず、困った遺族は住職の太元和尚に教戒済度を頼みに行った。
お園の幽霊と対面した和尚は、幽霊の未練が抽出しに隠されていた一通のお園に寄せられた恋文であることを突き止める。
和尚は手紙を他の人に見せずに焼き捨てると約束して未練を晴らした。幽霊が現れることはなくなった。
古典との比較
- 吉文字屋市兵衛『新選百物語』(明和五年<一七六八>刊)巻三の三「紫雲たな引密夫の玉章」
- 説教臭い。儒教的思想。
- 一通の恋文ではなく、数十通の不義(密通)の手紙が見つかる。
- 寺の宣伝の要素「大元和尚の宗弟の物語りぞと聞きおよぶ」→この寺は凄い!!
- 根岸鎮衛『耳袋』(天明~文化<一七八一〜一八一八>写)巻三の二十八「明徳の祈禱 、その依り所ある事」
- 寺の宣伝の要素が強い。「祐天大僧正は、その徳いちじるき名僧なりしよし。」(祐天大僧正:一六三七~一七一八年の浄土宗の高僧。多くの霊験譚が伝わる。)
- 「艶書おびただしくありし」
初代悟道軒圓玉「執念の恋文」
(『神戸新聞』昭和十年<一九三五>八月十日「夕涼み怪談集」の一話。同じ記事が『九州新聞』昭和十年<一九三五>八月二十九日「夕涼み怪談道具」にも載る)
*湯本豪一編『昭和戦前期怪異妖怪記事資料集成』(国書刊行会、二〇一六年)による。現在通行の字体に改め、句読点を補い、振り仮名を省略した箇所がある。
「佐藤と云ふ人から寄せた恋文があつた。これを主人に見せたくないとの一念が茲に現れたものであらう。」
『諸国百物語』(延宝五年<一六七七>刊)巻三の十九「艶書の執心、鬼と成りし事」
(要約)
「婦人の翫ぶ水牛にて造れるはり形といふ具」(ディルド)が長く大切にされたことで夜な夜な寝ている妻の傍に怪しい人影を生み出すようになった。
川に流したら治まった。
堤邦彦「幽霊の遺念――僧侶必携マニュアル」(堤邦彦『女霊の江戸怪談史――大衆化する幽霊像』、三弥井書店、二〇二四年、第一章Ⅳ)
『新選百物語』と『耳嚢』所収話をとりあげて、後者を「累 怨霊の鎮魂で名高い祐天 かさね の法力譚のひとつ」と捉えて、
以下のように本話の背景を推測する。
文化十一年(一八一四)の編述とされる『耳嚢』の一話をもって『新選百物語』の素材を論じるのは、
従来の典拠論的な見方からいえば、たしかに無理があるかもしれない。成立年代の順が逆になる、からだ。
一方、遺念のこもる品を処分する呪法が、近世の僧坊、例えば祐天を輩出した浄土宗門の内部にひろく共有されていたとしたらどうであろうか。
(中略)
堤邦彦氏は講師の師匠に当たる人らしい。
こうした伝承は浮世草子→耳袋→八雲という風に伝播したと思われる。
気を逸らすことで祟りを避ける伝承。
小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「策略」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)
[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)より。表記・送り仮名を改めた。]
(要約)
罪人(死刑囚)は殿様に「過ちを犯したのは大馬鹿であるが故であり、知っての上でやらかした咎ではない。
人間馬鹿に生れついたからといってそいつを死罪にするのは間違っている。
必ず報いてやる(祟りを起こす)ぞ。」と言った。すると、殿様は「本当に口で言うほどお前が怨んでいるのなら、徴を何か示してくれるか。」
と尋ねて、罪人が肯うと、「首が刎ねられた後、あの飛石に噛みついてみるがいい。」と述べた。
そして罪人は刎ねられたが、首は転がって行くと見るや、突然、跳ねあがって飛石の上端に噛み付いた。
それで、殿様以外の人々は酷く恐怖し、妄執を抱く亡霊の為の施餓鬼供養を上申するに至る。
殿様は「彼奴の臨終の怨念は恐ろしいものであったが、私が彼奴に怨みの徴を見せてくれと言った時、
彼奴はその挑発にのった。私は彼奴の気持ちを復讐からよそへそらしたのだ。彼奴は是が非でも飛石に噛みつこうと固く決心して死んだ。
そしてその臨終の際の思いを果した。それ以外のことはもはや念頭に微塵もなかった。念頭からすっかり消えていたのだ。
だからこの件に関してお前等がこれ以上くよくよ心配するには及ばない」と返した。
実際、死んだ男はそれ以上別になんの祟りもひきおこさなかった。まったく何事も起らずじまいだったのである。
酷似したもの
・山崎美成(よししげ)『世事百談』(天保十四年<一八四三>刊)巻三の二十三「欺て冤魂を散(さんず)」
・馬場文耕『皿屋舗辨疑録』(宝暦八年<一七五八>序・写)
山崎美成のものは殿様ではなく主人、馬場文耕のものは人切役になっている。
また、馬場文耕のものは峰打ちをし、罪人の気が逸れた瞬間に殺すことで祟りを避けた。
・馬場文耕『皿屋舗辨疑録』(宝暦八年<一七五八>序・写)十「伝通院三日月了誉上人、菊が怨念を鎮め給ふ事」
・祐佐『太平百物語』(享保十七年<一七三二>)巻一の四「富 次郎娘、蛇に苦しめられし事」
両方とも蛇が女に恋をして付き纏うのを退治する話。同じく気が逸れた瞬間に殺すことで悪霊になるのを避けた。
祐佐のものは蛇の執着が強くて何度も蘇り、困っていたところに僧侶が訪れた。
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小泉八雲の「ろくろ首」と比較すると、小泉八雲のは風景の描写が追加されていると分かる。
(例:「美しい晩でした。空には一点の雲もなく、風もなく、月の光で草むらがくっきりと濃い影を落とし、(以下省略)」)
また、十返舎一九の内容を見てみると、武勇の称賛が主である。(題名も「却って福を報せる話」である。)
小泉八雲は上記の要素を取り除いて不思議な話にまとめた。
十返舎一九は古い書物で表記方法も読み方も難解である。外人である小泉八雲にはとてもきつい。(なんなら日本人でも辛い。)
果たして、妻のセツは八雲の代わりに読めたのか。更に言えば、読めたとしても八雲は耳で理解できるのか。
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「ろくろ首」の種類 || |
試験。紙媒体を持ち込み可能。
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