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近世文学講義(門脇大) のバックアップ(No.23)
概要
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| 授業形態 | 対面授業/遠隔授業 |
| 日程/教室 | 水曜日 四限目/412教室(四号館一階二番教室) |
| ▼ | 小泉八雲略年譜 |
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| ▼ | 小泉八雲の語り |
小泉八雲の語り
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| ▼ | 小泉八雲と雪女 |
小泉八雲と雪女
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小泉八雲の語りの一つに母の幽霊が飴を買って赤子に食わせるという話がある。
そこに記された「愛は死よりも強し」という言葉はロマンスであり、ハーンの来歴と関連するか。
小泉八雲は古典作品を再話した。古典の内容と何が異なっているかに注目すると、その話の変化の仕方に気付ける。
小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「葬られた秘密」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)
[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)による。表記・送り仮名を改めた。]
(要約)
昔、丹波国に稲村屋善助というお金持の商人が住んでいた。善助にはお園という娘がいた。
娘は父が家族ぐるみでつきあっていた友人で長良屋という者と結婚した。そして四年近く幸深い暮しを送った。
二人の間には男の子も一人生れた。だがお園は病気にかかり、亡くなった。
お園の葬式をすませた日の夜、亡くなったはずのお園が衣裳や手道具類がまだ納めたままになっている箪笥の前に立っている。
死人が自分の持物に執着するのは良くあることで、解決するには調度類を菩提寺に納める必要がある。
故に遺族はお園の衣裳道具を禅宗の菩提寺に納めた。しかし、お園の幽霊は消えず、困った遺族は住職の太元和尚に教戒済度を頼みに行った。
お園の幽霊と対面した和尚は、幽霊の未練が抽出しに隠されていた一通のお園に寄せられた恋文であることを突き止める。
和尚は手紙を他の人に見せずに焼き捨てると約束して未練を晴らした。幽霊が現れることはなくなった。
古典との比較
- 吉文字屋市兵衛『新選百物語』(明和五年<一七六八>刊)巻三の三「紫雲たな引密夫の玉章」
- 説教臭い。儒教的思想。
- 一通の恋文ではなく、数十通の不義(密通)の手紙が見つかる。
- 寺の宣伝の要素「大元和尚の宗弟の物語りぞと聞きおよぶ」→この寺は凄い!!
- 根岸鎮衛『耳袋』(天明~文化<一七八一〜一八一八>写)巻三の二十八「明徳の祈禱 、その依り所ある事」
- 寺の宣伝の要素が強い。「祐天大僧正は、その徳いちじるき名僧なりしよし。」(祐天大僧正:一六三七~一七一八年の浄土宗の高僧。多くの霊験譚が伝わる。)
- 「艶書おびただしくありし」
初代悟道軒圓玉「執念の恋文」
(『神戸新聞』昭和十年<一九三五>八月十日「夕涼み怪談集」の一話。同じ記事が『九州新聞』昭和十年<一九三五>八月二十九日「夕涼み怪談道具」にも載る)
*湯本豪一編『昭和戦前期怪異妖怪記事資料集成』(国書刊行会、二〇一六年)による。現在通行の字体に改め、句読点を補い、振り仮名を省略した箇所がある。
「佐藤と云ふ人から寄せた恋文があつた。これを主人に見せたくないとの一念が茲に現れたものであらう。」
『諸国百物語』(延宝五年<一六七七>刊)巻三の十九「艶書の執心、鬼と成りし事」
(要約)
「婦人の翫ぶ水牛にて造れるはり形といふ具」(ディルド)が長く大切にされたことで夜な夜な寝ている妻の傍に怪しい人影を生み出すようになった。
川に流したら治まった。
堤邦彦「幽霊の遺念――僧侶必携マニュアル」(堤邦彦『女霊の江戸怪談史――大衆化する幽霊像』、三弥井書店、二〇二四年、第一章Ⅳ)
『新選百物語』と『耳嚢』所収話をとりあげて、後者を「累 怨霊の鎮魂で名高い祐天 かさね の法力譚のひとつ」と捉えて、
以下のように本話の背景を推測する。
文化十一年(一八一四)の編述とされる『耳嚢』の一話をもって『新選百物語』の素材を論じるのは、
従来の典拠論的な見方からいえば、たしかに無理があるかもしれない。成立年代の順が逆になる、からだ。
一方、遺念のこもる品を処分する呪法が、近世の僧坊、例えば祐天を輩出した浄土宗門の内部にひろく共有されていたとしたらどうであろうか。
(中略)
堤邦彦氏は講師の師匠に当たる人らしい。
こうした伝承は浮世草子→耳袋→八雲という風に伝播したと思われる。
比較すると、話の変わり方が判る。
| ▼ | テクストと考察 |
テクストと考察
「須坂町の怪談」は小泉八雲の後の作品(新聞)。文中に現れる神経作用は当時の頻出単語。特派員を送るというのが明治時代らしい。 |
小泉八雲は廃仏毀釈などの運動に反感を持っていた。
典拠論は似た話(噂や口承)を沢山集めて比較する。
下記のテクストを比べると新聞と小泉八雲が同じ(あるいは似た)何かから影響したと考えられる。
新聞⇦(元ネタ)⇨小泉八雲
| ▼ | テクストと考察 |
テクストと考察
↑震災とは関東大震災のこと。前年の一九二三年九月一日に発生した。
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・「不思議の布団」 ・「夜々蒲団が物を言う「ぬくかろが〱」と 解いたら黒血の浸んだ綿が出た」 ・「怪談奇譚(十)兄えさん寒からうと物を言ふ蒲団 可憐な幼き兄弟に絡る哀話」 ・「奇談怪談(二十三)背中の蒲団が呼ぶ 甲府のだんだら坂の途中で胆を潰した茂助爺さん」
気を逸らすことで祟りを避ける伝承。
小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「策略」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)
[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)より。表記・送り仮名を改めた。]
(要約)
罪人(死刑囚)は殿様に「過ちを犯したのは大馬鹿であるが故であり、知っての上でやらかした咎ではない。
人間馬鹿に生れついたからといってそいつを死罪にするのは間違っている。
必ず報いてやる(祟りを起こす)ぞ。」と言った。すると、殿様は「本当に口で言うほどお前が怨んでいるのなら、徴を何か示してくれるか。」
と尋ねて、罪人が肯うと、「首が刎ねられた後、あの飛石に噛みついてみるがいい。」と述べた。
そして罪人は刎ねられたが、首は転がって行くと見るや、突然、跳ねあがって飛石の上端に噛み付いた。
それで、殿様以外の人々は酷く恐怖し、妄執を抱く亡霊の為の施餓鬼供養を上申するに至る。
殿様は「彼奴の臨終の怨念は恐ろしいものであったが、私が彼奴に怨みの徴を見せてくれと言った時、
彼奴はその挑発にのった。私は彼奴の気持ちを復讐からよそへそらしたのだ。彼奴は是が非でも飛石に噛みつこうと固く決心して死んだ。
そしてその臨終の際の思いを果した。それ以外のことはもはや念頭に微塵もなかった。念頭からすっかり消えていたのだ。
だからこの件に関してお前等がこれ以上くよくよ心配するには及ばない」と返した。
実際、死んだ男はそれ以上別になんの祟りもひきおこさなかった。まったく何事も起らずじまいだったのである。
酷似したもの
・山崎美成(よししげ)『世事百談』(天保十四年<一八四三>刊)巻三の二十三「欺て冤魂を散(さんず)」
・馬場文耕『皿屋舗辨疑録』(宝暦八年<一七五八>序・写)
山崎美成のものは殿様ではなく主人、馬場文耕のものは人切役になっている。
また、馬場文耕のものは峰打ちをし、罪人の気が逸れた瞬間に殺すことで祟りを避けた。
・馬場文耕『皿屋舗辨疑録』(宝暦八年<一七五八>序・写)十「伝通院三日月了誉上人、菊が怨念を鎮め給ふ事」
・祐佐『太平百物語』(享保十七年<一七三二>)巻一の四「富 次郎娘、蛇に苦しめられし事」
両方とも蛇が女に恋をして付き纏うのを退治する話。同じく気が逸れた瞬間に殺すことで悪霊になるのを避けた。
祐佐のものは蛇の執着が強くて何度も蘇り、困っていたところに僧侶が訪れた。
『多聞院日記』(室町末~江戸初)巻四、天文八年七月の条
(要約)
少女に蛇がずっとくっついている。殺しても何度も蘇る。
古禅僧が来て、少女に座敷を何遍も歩かした。蛇もその後ろに付いて歩いている。
何回か往復した時に禅僧が蛇の尾を踏み、蛇は鎌首を上げて振り返り睨んだ。
その瞬間に禅僧はふっと摑んで剃刀で殺した。そして「もう蘇らない」と言って、
「臨終の一念は肝要なのだ。この蛇は死に際に瞋恚(怒り)に没頭して少女への執念を忘れたので、甦れないのだよ」などと説明した。
似た物語
- 小山田与清『松屋筆記』(文化末年(-一八一八)頃~弘化二年<一八四五>頃)巻七十八の四十五「蛇の付たるを治せる談」
小山田与清(おやまだ ともきよ)は明治の国学者。- 真田増誉『明良洪範』(元禄年間<一六八八〜一七〇四>編か)
→名君良臣の洪範ともなる佳話を集めたもの。文禄・慶長(一五九二〜一六一五)頃から元禄頃までの話をとりあげる。
曹洞宗を開いた道元和尚を称える内容が含まれる。- 熊沢淡庵『武将感状記』(正徳六年<一七一六>刊)→天文〜慶長年間(一五三二〜一六一五)の名将・勇士の忠義・武勇の美談を集めた軍記。
軍記物である。道元和尚の活躍を載せる。
また、平仮名本『因果物語』(寛文年間<一六六一〜一六七三>刊)巻六の四「非分にころされて、怨をなしける事」には
気を逸らして殺さなかったことで祟りが起こったことが描かれる。
| ▼ | テクスト |
テクスト
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小泉八雲の「ろくろ首」と比較すると、小泉八雲のは風景の描写が追加されていると分かる。
(例:「美しい晩でした。空には一点の雲もなく、風もなく、月の光で草むらがくっきりと濃い影を落とし、(以下省略)」)
また、十返舎一九の内容を見てみると、武勇の称賛が主である。(題名も「却って福を報せる話」である。)
小泉八雲は上記の要素を取り除いて不思議な話にまとめた。
十返舎一九は古い書物で表記方法も読み方も難解である。外人である小泉八雲にはとてもきつい。(なんなら日本人でも辛い。)
果たして、妻のセツは八雲の代わりに読めたのか。更に言えば、読めたとしても八雲は耳で理解できるのか。
| ▼ | 「ろくろ首」の種類 |
「ろくろ首」の種類
参照:横山泰子「近世文化における轆轤首の形状について」(小松和彦編『日本妖怪学大全』、小学館、二〇〇三年、所収) |
| ▼ | テクストと考察 |
テクストと考察
→『斉諧俗談』(宝暦八年<一七五八>刊)巻三「飛頭蛮」は、『和漢三才図会』の『三才図会』から『太平広記』の引用箇所を、ほぼそのまま引用する。
↑『東京毎日新聞』のは小泉八雲の轆轤首を語り直したもの。
→轆轤首に関する概説と、四話の轆轤首譚を掲載する。 |
これらは後妻打ちの変種だろうか?
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テクスト
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考察
小泉八雲「因果話」の元ネタは『百物語』であろう。
「日本の詩文では、女性の身体的な美しさを桜に譬える。それに対して、内面的な美しさは梅に譬える」という註釈は海外向けに書いていたから。
小泉八雲のでは「あまたいる側室」となっているが、『百物語』では「奥方の外に愛妾二人 」となっている。(数が限られた方が嫉妬が強まるからか。)
うわべをつくろうばかりの話を、取り交わしているときではないのです。 お互い本心だけでお話をしましょう。わたくしが死ねば、そなたはきっとお取り立ていただけるはずです。という部分は全て嘘だった。この後、雪子は遠慮するようなことを言うが、雪子も嘘を吐いていたとしたら、どうだろうか。
因みに、元ネタにはこの部分はない。
『百物語』では、嫉妬は憚るべしという儒教的な説教が挿入されるが、小泉八雲はそれを取り除いて書いた。
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考察
儒仏の教えでは、嫉妬は家の乱れに繋がり、やがて地域の乱れに繋がるとされる。⇨女訓
女の怨みは、男に向かず、女に向かいやすい。
片仮名本『因果物語』では「作兵衛に恨み有る」と言いつつ、女の首を持って来いと言っている。(最終的には作兵衛も死ぬが、)
また、片仮名本『因果物語』にはタクシー怪談の原型と見られる部分がある他、暴力的な描写(先生の大好物)が含まれる。
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テクスト
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考察
小泉八雲の曾孫であるBonさんの記事にもある通り、『文藝倶楽部』のものが元ネタだとかねてより指摘されている。
小泉八雲の『幽霊滝』では、中菅が黒坂になり、滝山神社から賽銭箱を持ち帰り、主人公の若妻は大工の女房お勝、そして天狗は幽霊となって描かれている。
「龍王滝の奥に奥院中滝と奥院仙人滝のふたつの滝があって、その側にある天狗岩が滝山神社の天狗伝説とつながった。 その天狗のことを小泉八雲は幽霊と解釈したようです」 郷土史家 森恵弘 氏 談
首を失った赤子。怪異の仕業らしい。でも本当にそうだろうか?
母親が我が子を殺した、としたらどうだろうか。八雲と八雲の母の関係を思い出すと、違った見方が出来る。
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テクスト
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考察
「お勝の池」(千原美屋野の談)の「二歳子はお宮に連れて行くなというようになった」というのは元々あった伝承だが、
「涙でできたお勝の池と名が付いた」という部分(由来譚)は、小泉八雲の語りが生み出した新しい伝承である可能性がある。
『諸国百物語』「伊賀の国にて天狗座頭にばけたる事」は高慢な者が天狗に鼻を折るという伝承の一つである。
前回の講義に、幽霊滝とこの伝承が合わさったような話が出た。
賭け事や肝試しの果てに怪異が現れるというテンプレート。
賭け事の結果として痛い目を見るのは大抵、女である。
『諸国百物語』「京東洞院、かたわ車の事」に「女の身とて、あまりに物を見んとする故也。」とあるのが興味深い。
振り返り
試験。紙媒体を持ち込み可能。学生証持参。
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