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近世文学講義(門脇大) のバックアップ(No.6)
概要
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| 授業形態 | 対面授業/遠隔授業 |
| 日程/教室 | 水曜日 四限目/412教室(四号館一階二番教室) |
| ▼ | 小泉八雲略年譜 |
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| ▼ | 小泉八雲の語り |
小泉八雲の語り
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| ▼ | 小泉八雲と雪女 |
小泉八雲と雪女
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小泉八雲は古典作品を再話した。古典の内容と何が異なっているかに注目すると、その話の変化の仕方に気付ける。
小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「葬られた秘密」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)
[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)による。表記・送り仮名を改めた。]
(要約)
昔、丹波国に稲村屋善助というお金持の商人が住んでいた。善助にはお園という娘がいた。
娘は父が家族ぐるみでつきあっていた友人で長良屋という者と結婚した。そして四年近く幸深い暮しを送った。
二人の間には男の子も一人生れた。だがお園は病気にかかり、亡くなった。
お園の葬式をすませた日の夜、亡くなったはずのお園が衣裳や手道具類がまだ納めたままになっている箪笥の前に立っている。
死人が自分の持物に執着するのは良くあることで、解決するには調度類を菩提寺に納める必要がある。
故に遺族はお園の衣裳道具を禅宗の菩提寺に納めた。しかし、お園の幽霊は消えず、困った遺族は住職の太元和尚に教戒済度を頼みに行った。
お園の幽霊と対面した和尚は、幽霊の未練が抽出しに隠されていた一通のお園に寄せられた恋文であることを突き止める。
和尚は手紙を他の人に見せずに焼き捨てると約束して未練を晴らした。幽霊が現れることはなくなった。
古典との比較
吉文字屋市兵衛『新選百物語』(明和五年<一七六八>刊)巻三の三「紫雲たな引密夫の玉章」
特徴
小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「策略」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)
[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)より。表記・送り仮名を改めた。]
(要約)
罪人(死刑囚)は殿様に「過ちを犯したのは大馬鹿であるが故であり、知っての上でやらかした咎ではない。
人間馬鹿に生れついたからといってそいつを死罪にするのは間違っている。
必ず報いてやる(祟りを起こす)ぞ。」と言った。すると、殿様は「本当に口で言うほどお前が怨んでいるのなら、徴を何か示してくれるか。」
と尋ねて、罪人が肯うと、「首が刎ねられた後、あの飛石に噛みついてみるがいい。」と述べた。
そして罪人は刎ねられたが、首は転がって行くと見るや、突然、跳ねあがって飛石の上端に噛み付いた。
それで、殿様以外の人々は酷く恐怖し、妄執を抱く亡霊の為の施餓鬼供養を上申するに至る。
殿様は「彼奴の臨終の怨念は恐ろしいものであったが、私が彼奴に怨みの徴を見せてくれと言った時、
彼奴はその挑発にのった。私は彼奴の気持ちを復讐からよそへそらしたのだ。彼奴は是が非でも飛石に噛みつこうと固く決心して死んだ。
そしてその臨終の際の思いを果した。それ以外のことはもはや念頭に微塵もなかった。念頭からすっかり消えていたのだ。
だからこの件に関してお前等がこれ以上くよくよ心配するには及ばない」と返した。
実際、死んだ男はそれ以上別になんの祟りもひきおこさなかった。まったく何事も起らずじまいだったのである。
山崎美成(よししげ)『世事百談』(天保十四年<一八四三>刊)巻三の二十三「欺て冤魂を散(さんず)」
[『日本随筆大成<第一期>十八』(吉川弘文館、一九七六年)による。改行や振り仮名の一部省略、句読点の改変を行った。セリフには「 」を付した。]
『多聞院日記』(室町末~江戸初)巻四、天文八年七月の条
(要約)
少女に蛇がずっとくっついている。殺しても何度も蘇る。
古禅僧が来て、少女に座敷を何遍も歩かした。蛇もその後ろに付いて歩いている。
何回か往復した時に禅僧が蛇の尾を踏み、蛇は鎌首を上げて振り返り睨んだ。
その瞬間に禅僧はふっと摑んで剃刀で殺し、「もう蘇らない」と言った。
禅僧は「是は、禅僧の臨終の大事の才学にて、さたせる也。かわとをゝふむ時、瞋恚して、彼亡念を忘るゝ。その一念の間にて切りたる故に、不来也。さる程に、返々、臨終の一念か肝要の事也。」
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