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近世文学講義(門脇大) の変更点
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|BGCOLOR(#555):COLOR(White):200|520|c
|BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):''分類''|''国文学科選択必修/国語科教員選択必修''|
|区分|[[国文学科]]科目/一般(人数過多の場合は抽選)|
|履修条件||
|単位数|2|
|講師|[[門脇大]]|
|学位等|文理学部(学士(文学))|
*概要 [#Gaiyou]
明治時代に日本にやってきた小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)は、日本の文化・風俗・伝承などに強い興味を抱き、数多くの作品を著した。
それらは口碑伝承として伝わるとともに、江戸怪談にルーツを求めることができるものも多い。小泉八雲の作品と江戸怪談・口碑伝承等を読み比べる。
異国から来た八雲の目を通して江戸怪談を読み直すことによって、時代と文化の相違に留意しながら多角的に文学作品を読み解いてゆく。
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毎回、Canvas LMSで授業に関するあれこれを授業資料に沿って具体的に記入するように求めるリアクションペーパーを提出する。(出席確認を兼ねる。)
&color(Red){提出可能時間は30分であるので出し忘れに要注意。};
#br
この科目は文理学部(学士(文学))のディプロマポリシーDP1,2,3,4,5,8及びカリキュラムポリシーCP1,2,3,4,5,8に対応している。
*講師の印象 [#Inshou]
親しみやすい。時々、自虐的なギャグを挟む。
*令和七年度(2025年度) [#h81d5434]
後期のみ開講。
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**後期
}}
#style(class=submenu){{
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|BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):授業形態|対面授業/遠隔授業|
|日程/教室|水曜日 四限目/412教室(四号館一階二番教室)|
***第一講目の内容
#region(小泉八雲略年譜)
>''小泉八雲略年譜''
-%%%一八五〇年(嘉永三年)%%%
六月二十七日、ギリシャのイオニア諸島のひとつ、レフカス島で、アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれる。
パトリキオ・ラフガディオ・ハーンと名づけられた。|
-%%%一八五四年(安政元年) 四歳%%%
父はクリミア戦争に出征。八月、弟ジェームズ生まれる。母はハーンを大叔母に預け、単身ギリシャに帰る。
-%%%一八五七年(安政四年) 七歳%%%
父母離婚。
-%%%一八六六年(慶応二年) 十六歳%%%
ジャイアント・ストライドという遊戯中に左目を強打し、失明。→写真には必ず左目を見せないように写るようになる。
父がインド熱にかかり、スエズで死亡。
-%%%一八六七年(慶応三年) 十七歳%%%
十月、大叔母が破産したため、ウショー校を中退。
-%%%一八六九年(明治二年) 十九歳%%%
単身アメリカに渡り、職を転々とする。
-%%%一八七四年(明治七年) 二十四歳%%%
日刊新聞『シンシナティ・インクワイヤラー』紙の記者となる。
-%%%一八七五年(明治八年) 二十五歳%%%
黒人との混血女性、マルシア・フォリーとの同棲生活が原因でインクワイヤラー社を解雇される。
-%%%一八八四年(明治十七年) 三十四歳%%%
処女再話集『異文学遺聞』出版。ニューオーリンズ百年祭記念博覧会で、日本政府の事務次官・服部一三に、日本についての細かい質問をする。
→日本に興味を持ったか。
-%%%一八八七年(明治二十年) 三十七歳%%%
第二再話集『中国怪異集』出版。西インド諸島のマルティニーク島に行き、その後二年ほどこの島の町サン・ピエールで過ごす。
-%%%一八九〇年(明治二十三年) 四十歳%%%
三月、バンクーバーから汽船で横浜に向かい、四月四日、横浜に着く。八月、島根県松江尋常中学校ならびに師範学校の英語教師として赴任する。
十二月、教頭西田千太郎の媒酌で、小泉セツと結婚。
-%%%一八九一年(明治二十四年) 四十一歳%%%
十一月、熊本の第五高等中学校に転任。
-%%%一八九二年(明治二十五年) 四十二歳%%%
アトランティック・マンスリーに『見知らぬ日本の面影』を連載。
-%%%一八九三年(明治二十六年) 四十三歳%%%
十一月、長男の一雄が生まれる。
-%%%一八九四年(明治二十七年) 四十四歳%%%
ハーンの日本に関する最初の著書『知られぬ日本の面影』全二巻を出版。十一月、熊本での契約切れを機に『神戸クロニクル』の論説記者となり、神戸に移る。
-%%%一八九五年(明治二十八年) 四十五歳%%%
二月、眼病のためクロニクル社を退社。九月、『東の国から』を出版。日本人の気質をみごとにとらえた名著として、世界に喧伝される。
-%%%一八九六年(明治二十九年) 四十六歳%%%
二月、帰化が認められ&color(Red){小泉八雲};と改名。三月、『心』を出版。八月、神戸を去って夫人と上京。九月、市ヶ谷の富久町に居を定め、英文科講師として東京帝国大学に通う。
-%%%一八九七年(明治三十年) 四十七歳%%%
二月、二男の巌生まれる。三月、松江以来、公私にわたり力となった西田千太郎死去。九月、『仏の畑の落穂』を出版。
-%%%一九〇二年(明治三十五年) 五十二歳%%%
三月、西大久保の新居に移る。『日本お伽噺』を東京で出版。十月、『骨董』出版。
-%%%一九〇三年(明治三十六年)五十三歳%%%
一月、東京帝国大学文科学長井上哲次郎の名で、解雇通知を受け取る。ハーンはこの突然の仕打ちに激怒する。学生たちによる留任運動が起こる。
九月、長女の寿々子生まれる。
→ハーンの後任はかの夏目漱石であり、漱石は小泉八雲の後は恐れ多いと固辞した。(最終的には引き受けた。)
-%%%一九〇四年(明治三十七年) 五十四歳%%%
三月、早稲田大学文学部に出講する。四月、『怪談』を出版。九月二十六日夜、狭心症のため死去。十月、『日本―一つの試論』出版。
#endregion
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『雪女』は小泉八雲の創作か。
***第二講目の内容
***第三講目の内容
***第四講目の内容
***第五講目の内容
***第六講目の内容
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*コメント [#comment]
#pcomment(,reply,20,)
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