<a href="https://nichidaibunrigojokai.swiki.jp/index.php?cmd=related&page=%E5%9F%BA%E7%A4%8E%E6%BC%94%E7%BF%92%EF%BC%91%28%E8%97%A4%E5%B9%B3%E6%B3%89%29">基礎演習1(藤平泉)</a> の編集
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> 基礎演習1(藤平泉)
基礎演習1(藤平泉)
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''■[[基礎演習]]'' #contents |BGCOLOR(#555):COLOR(White):200|520|c |BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):''分類''|''国文学科必修''| |区分|[[国文学科]]科目| |履修形態|完全抽選(必ずしも望む日程や講師の授業を選べる訳ではない)| |履修条件|国文学科生として抽選に応募する。| |単位数|2| |講師|[[藤平泉]]| |学位等|学士(文学)| *概要 [#Gaiyou] 「小倉百人一首」をテキストとして、好きな和歌を一首選び調査し、口頭発表する。 日本古典文学の基礎的な知識を身につけると共に、三年次以降に向けて基礎的な古典文学の研究方法を学ぶ。 #br 人数調整を行うため、期日までにグーグルフォームで所定の手続きを取ること。 受講許可は、COMITS2・国文学科掲示板にて発表する。 なお、手続きについてはCOMITS2「お知らせ」で指示するので必ず確認すること。 #br 2人まで同一の和歌を選んで良い。発表順で3人目になった場合は別な和歌を選ぶこと。 各時間2~3名ずつ一人20~30分ずつ口頭発表をする。 |>|成績割合|h |自分の担当した和歌についてまとめるレポート|20%| |授業参画度(質疑への参加、発言による総合評価)|10%| |口頭発表の内容|70%| 3分の2以上の出席が必要 教科書は、有吉保の『百人一首 (講談社学術文庫)』(講談社 1983年 第1版) #br この科目は、文理学部(学士(文学))のディプロマポリシーDP6及びカリキュラムポリシーCP8に対応している。 *講師の印象 [#Inshou] この授業では発表の後に質問責めが待っている。 殆どの学生はびびるが、そんなに身構えなくていい。 日本語オタクが目を(輝かせながら)質問してきてると思えば怖くない。 *令和八年度(2026年度) [#h81d5434] #style(class=submenuheader){{ **前期 }} #style(class=submenu){{ |BGCOLOR(#555):COLOR(White):200|520|c |BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):授業形態|対面授業| |日程/教室|月曜日 四限目/3302教室(三号館三階二番教室)| ***「小倉百人一首」について 百人の歌人から秀歌を一首ずつ集めたもの。 最初は、嵯峨の小倉山荘の障子に張った色紙和歌の意の「小倉山荘色紙和歌」「嵯峨山荘色紙形」の名称であったものが、 内容的名称の「百人一首」となり、さらに、のちの『新百人一首』『武家百人一首』と区別するため「小倉百人一首」となった。 #br 撰者としては、室町時代以来、藤原定家撰説があったが、 安藤為章の宇都宮頼綱撰説、吉沢義則の宗祇撰定家仮託説などの提唱を経て、近来再び定家撰説がとられ定説化している。 これは、『百人秀歌』や応永本『百人一首抄』の出現と『集古十種』中の「小倉色紙」の再評価によるものであり、 『百人秀歌』が草案で『小倉百人一首』が完成本であろうとされている。 #br 選ばれた歌人は、万葉時代から新古今時代までの男七十九人、女二十一人の代表的歌人で、 歌は恋歌四十三首(四季三十二首、その他二十五首)が中心であり、妖艷の歌風を重んじ、流麗な歌調のものが多い。 歌人の選択秀歌例ともに、定家の歌論書と一致するものが多く、定家の晩年の愛誦歌的性格がみられる。 #br 室町時代には、和歌・連歌の専門家に継承され、江戸時代からは教養書としても、広く一般に愛唱活用されるようになった。 『百人秀歌』は、宮内庁書陵部蔵本・久曾神昇蔵の二種類。 『小倉百人一首』の方は、諸本きわめて多く、注釈書が中心で、 現存最古の『小椋山庄色紙和歌』(応永十三年(一四〇六)藤原満基の奥書、書陵部蔵)や『百人一首宗祇抄』が基盤になっている。 #br [[ジャパンナレッジの国史大辞典・世界大百科事典>https://japanknowledge.com/introduction/keyword.html?i=877]]より引用 ***「藤原定家」について 生没:1162~1241年 鎌倉初期の歌人。名は「さだいえ」とも。俊成の子。 父のあとを継いで有心うしん体の象徴的歌風を確立し、歌壇の指導者として活躍。「新古今和歌集」の撰者の一人。 のち「新勅撰和歌集」を撰し、「源氏物語」などの古典の校訂・研究者としてもすぐれた業績を残した。 家集「拾遺愚草」、歌論書「近代秀歌」「毎月抄」「詠歌大概」、日記「明月記」など。 >''当時の社会情勢(年表)'' -1156年 保元の乱 -1159年 平治の乱 -1162年 &color(Red){藤原定家が生まれる。}; -1167年 平清盛が太政大臣となる。 -1185年 壇ノ浦の戦いで平氏が滅ぶ。源頼朝が守護・地頭を設置 -1192年 源頼朝が征夷大将軍に任命される。 -1221年 承久の乱 -1232年 御成敗式目を制定する。 -1241年 &color(Red){藤原定家が死ぬ。}; -1274年 文永の役 }} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,20,)