日本大学学生互助会(文理学部) Wiki
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> 近世文学講義(門脇大)
近世文学講義(門脇大)
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***第十一講目の内容 [#o422268a]
''■[[文学講義一覧>日本文学講義 一覧]]'' #contents |BGCOLOR(#555):COLOR(White):200|520|c |BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):''分類''|''国文学科選択必修/国語科教員選択必修''| |区分|[[国文学科]]科目/一般(人数過多の場合は抽選)| |履修条件|| |単位数|2| |講師|[[門脇大]]| |学位等|文理学部(学士(文学))| *概要 [#Gaiyou] 明治時代に日本にやってきた小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)は、日本の文化・風俗・伝承などに強い興味を抱き、数多くの作品を著した。 それらは口碑伝承として伝わるとともに、江戸怪談にルーツを求めることができるものも多い。小泉八雲の作品と江戸怪談・口碑伝承等を読み比べる。 異国から来た八雲の目を通して江戸怪談を読み直すことによって、時代と文化の相違に留意しながら多角的に文学作品を読み解いてゆく。 #br 毎回、Canvas LMSで授業に関するあれこれを授業資料に沿って具体的に記入するように求めるリアクションペーパーを提出する。(出席確認を兼ねる。) &color(Red){提出可能時間は30分であるので出し忘れに要注意。}; また、期末試験がある。 #br この科目は文理学部(学士(文学))のディプロマポリシーDP1,2,3,4,5,8及びカリキュラムポリシーCP1,2,3,4,5,8に対応している。 *講師の印象 [#Inshou] 親しみやすい。時々、ギャグを挟む。 *令和七年度(2025年度) [#h81d5434] 後期のみ開講。 人工知能対策で期末試験への持ち込みは不可。ただし、第十三回講義に出た場合は... #style(class=submenuheader){{ **後期 [#wd7538bd] }} #style(class=submenu){{ |BGCOLOR(#555):COLOR(White):200|520|c |BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):授業形態|対面授業/遠隔授業| |日程/教室|水曜日 四限目/412教室(四号館一階二番教室)| ***第一講目の内容 [#l17a1291] #region(小泉八雲略年譜) >''小泉八雲略年譜'' -%%%一八五〇年(嘉永三年)%%% 六月二十七日、ギリシャのイオニア諸島のひとつ、レフカス島で、アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれる。 パトリキオ・ラフガディオ・ハーンと名づけられた。 -%%%一八五四年(安政元年) 四歳%%% 父はクリミア戦争に出征。八月、弟ジェームズ生まれる。母はハーンを大叔母に預け、単身ギリシャに帰る。 -%%%一八五七年(安政四年) 七歳%%% 父母離婚。 -%%%一八六六年(慶応二年) 十六歳%%% ジャイアント・ストライドという遊戯中に左目を強打し、失明。→写真には必ず左目を見せないように写るようになる。 父がインド熱にかかり、スエズで死亡。 -%%%一八六七年(慶応三年) 十七歳%%% 十月、大叔母が破産したため、ウショー校を中退。 -%%%一八六九年(明治二年) 十九歳%%% 単身アメリカに渡り、職を転々とする。 -%%%一八七四年(明治七年) 二十四歳%%% 日刊新聞『シンシナティ・インクワイヤラー』紙の記者となる。 -%%%一八七五年(明治八年) 二十五歳%%% 黒人との混血女性、マルシア・フォリーとの同棲生活が原因でインクワイヤラー社を解雇される。 -%%%一八八四年(明治十七年) 三十四歳%%% 処女再話集『異文学遺聞』出版。ニューオーリンズ百年祭記念博覧会で、日本政府の事務次官・服部一三に、日本についての細かい質問をする。 →日本に興味を持ったか。 -%%%一八八七年(明治二十年) 三十七歳%%% 第二再話集『中国怪異集』出版。西インド諸島のマルティニーク島に行き、その後二年ほどこの島の町サン・ピエールで過ごす。 -%%%一八九〇年(明治二十三年) 四十歳%%% 三月、バンクーバーから汽船で横浜に向かい、四月四日、横浜に着く。八月、島根県松江尋常中学校ならびに師範学校の英語教師として赴任する。 十二月、教頭西田千太郎の媒酌で、小泉セツと結婚。 -%%%一八九一年(明治二十四年) 四十一歳%%% 十一月、熊本の第五高等中学校に転任。 -%%%一八九二年(明治二十五年) 四十二歳%%% アトランティック・マンスリーに『見知らぬ日本の面影』を連載。 -%%%一八九三年(明治二十六年) 四十三歳%%% 十一月、長男の一雄が生まれる。 -%%%一八九四年(明治二十七年) 四十四歳%%% ハーンの日本に関する最初の著書『知られぬ日本の面影』全二巻を出版。十一月、熊本での契約切れを機に『神戸クロニクル』の論説記者となり、神戸に移る。 -%%%一八九五年(明治二十八年) 四十五歳%%% 二月、眼病のためクロニクル社を退社。九月、『東の国から』を出版。日本人の気質をみごとにとらえた名著として、世界に喧伝される。 -%%%一八九六年(明治二十九年) 四十六歳%%% 二月、帰化が認められ&color(Red){小泉八雲};と改名。三月、『心』を出版。八月、神戸を去って夫人と上京。九月、市ヶ谷の富久町に居を定め、英文科講師として東京帝国大学に通う。 -%%%一八九七年(明治三十年) 四十七歳%%% 二月、二男の巌生まれる。三月、松江以来、公私にわたり力となった西田千太郎死去。九月、『仏の畑の落穂』を出版。 -%%%一九〇二年(明治三十五年) 五十二歳%%% 三月、西大久保の新居に移る。『日本お伽噺』を東京で出版。十月、『骨董』出版。 -%%%一九〇三年(明治三十六年)五十三歳%%% 一月、東京帝国大学文科学長井上哲次郎の名で、解雇通知を受け取る。ハーンはこの突然の仕打ちに激怒する。学生たちによる留任運動が起こる。 九月、長女の寿々子生まれる。 →ハーンの後任はかの夏目漱石であり、漱石は小泉八雲の後は恐れ多いと固辞した。(最終的には引き受けた。) -%%%一九〇四年(明治三十七年) 五十四歳%%% 三月、早稲田大学文学部に出講する。四月、『怪談』を出版。九月二十六日夜、狭心症のため死去。十月、『日本―一つの試論』出版。 #endregion #hr #region(小泉八雲の語り) ''小泉八雲の語り'' >''小泉八雲「神々の国の首都」(『知られぬ日本の面影』、一八九四年、所収)&br;[ラフガディオ・ハーン著、池田雅之訳『新編 日本の面影』(KADOKAWA、二〇〇〇年)による。]'' (抜粋) '''松江の一日は、寝ている私の耳の下から、ゆっくりと大きく脈打つ脈拍のように、ズシンズシンと響いてくる大きな振動で始まる。''' '''柔らかく、鈍い、何かを打ちつけるような大きな響きだ。''' '''その間の規則正しさといい、包みこんだような音の深さといい、音が聞こえるというよりも、枕を通して振動が感じられるといった方がふさわしい。''' '''その響きの伝わり方は、まるで心臓の鼓動を聴いているかのようである。それは米を搗く、重い杵の音であった。''' #br →松江について、視覚ではなく聴覚で描写している。片目が見えない為か。 >''小泉節子「思い出の記」(日本での初出は、一九一四年)&br;[ラフガディオ・ハーン著、池田雅之訳『新編 日本の面影II』(KADOKAWA、二〇一五年)による。]'' (抜粋) '''私が昔話をヘルンに致します時には、いつも始めにその話の筋を大体申します。面白いとなると、その筋を書いて置きます。''' '''それから委しく話せと申します。それから幾度となく話させます。''' '''私が本を見ながら話しますと「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」と申します故、''' '''自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。''' #br →小泉八雲は口伝えを重要視していた。 #endregion #region(小泉八雲と雪女) ''小泉八雲と雪女'' 人を取り殺すといったストーリー性のある『雪女』は小泉八雲の創作と見られる。 >''『小泉八雲事典』(恒文社、二〇〇〇年)、「雪女」の項(牧野陽子)'' 『怪談』所収。茂作 と巳之吉 という二人の樵 が、ある冬の晩、山から帰る途中で吹雪に合い、小屋に逃げ込む。すると、夜中に雪女が現れて、年老いた茂作を殺すが、若い巳之吉の 方は、この夜のことを決して口外しないという条件で助けてやる。その後、巳之吉はお雪と いう美しい女と出会って結ばれ、子だくさんの幸せな家庭を築くが、ある夜、ふと雪女のことを話したために、お雪は正体をあらわし、巳之吉を捨てて去ってゆくという、周知の物語である。(中略) #br 「雪女」をめぐる、もうひとつ興味深い問題は、その原話との関係である。ハーンの再話作品には、ハーンが依拠した日本の原話が文献として残っていることが多いのだが、「雪女」の場合は原話がどのようなものだったのか、はっきりわかっていない。(中略。『怪談』序文、『知られぬ日本の面影』「幽霊と化け物」、熊本時代のチェンバレン宛書簡に言及)ただ、そこに登場するのは、どちらも雪という自然現象の化身としての素朴な雪の精、雪の妖怪にすぎず、物語性はない。 興味深いのは、江戸時代以前の日本の文献に残っているさまざまな雪女伝説がほとんどこのような素朴な雪神信仰の反映したものが多い(なかに笑い話や吹雪で遭難した人の幽霊話もある)にもかかわらず、昭和以降に採取された日本の、とくに豪雪地帯の民話の中に、ハーンの作品そっくりのものがかなり見られることである。ハーンが聞いたという調布村の百姓の話を書き留めていない以上、推測の域をでるものではないが、ハーンは単純素朴な原話を核に、自由に想像力をはたらかせて創作に近い作品を作りあげたのかもしれない。そして、 そのハーンの作品が作者を離れて、各地に広く深く浸透してゆき、新たな日本の民話としてすっかり定着したのだと想像できる。 >''小泉八雲『怪談』「序文」(明治三十七年<一九〇七>)[小泉八雲著・平井呈一訳『怪談・骨董他』(恒文社、一九七五年)による。]'' 「雪おんな」という奇談は、西多摩郡調布村のある百姓が、土地につたわる伝説として、わたくしに語ってくれた話。このはなしは、日本の書物にすでに書かれてあるかどうか知らないが、話のなかに出てくるあの異常な信仰は、きっと日本の各地に、いろいろの変わった珍らしいかたちで、つねに存在していたものであろう。 >''ラフガディオ・ハーン「幽霊とお化け」(『知られぬ日本の面影』、一八九四年、所収)&br;[ラフガディオ・ハーン著、池田雅之訳『新編 日本の面影II』(KADOKAWA、二〇一五年)による。]'' (抜粋) 朝方、雪が激しく降っていたが、夜には空も冴え渡り、しーんと静まり返った冷気が、ダイアモンドのように澄んでいる。 一歩進むたびに、凍り付いた雪が、足下でサクサクと心地好い音を立てる。思わず「金十郎、雪の神様っているのかい」と尋ねてみた。 「さあ、いかがなものでしょう」と金十郎が答えた。 「私が存じ上げない神様だって、たくさんいます。神様の名前を全部知っている者なんて、どこにもいませんよ。ただ雪女ならいますがね」 「雪女って?」 「雪の中にいて、いろんな顔に変化する、真っ白けの女のことです。別に人に危害を加えたりはしません。ただおどかすだけです。 昼間は、ぬーっと顔をつき出して、一人旅の者など をおどかしたりします。 でも、時々、夜になると立ち上がり、立ち木よりも大きくなるんです。 そして、しばらくあたりを見回していたかと思うと、やがて吹雪と一緒にかき消えてしまうんです」 「顔つきはどんなかね?」 「真っ白で、やたらに大きい顔をしてますが、とてもさびしそうな顔をしています」 (金十郎はここで「さびしそうな」という言葉を使っているが、私が思うに、これは「不気味な」という意味で使ったのであろう) 「今まで見たことあるのかい、金十郎」 「いや、まだございません。でも、親父ががきの時分に見たといっておりました。 なんでも雪の中を近所の遊び仲間の家に向かう途中、大きな白い顔が雪の中からぬっと立ち現れ、さびしそうにあたりを見回していたんだそうです。 親父は怖くなって大声を上げて、逃げ帰って来たそうです。家中の者が外に出て、あたりを見回しても、雪がしんしんと降っているだけでした。 それで、これは雪女の仕業だと合点したそうです」 「今でも、雪女をみかけるのかね」 「ええ、大寒と呼ばれる一年で一番寒い時分に、藪村にお参りにいく連中が、何度か出くわしたそうです」 #endregion ***第二講目の内容 [#c238df2d] 小泉八雲は古典作品を再話した。古典の内容と何が異なっているかに注目すると、その話の変化の仕方に気付ける。 >''小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「葬られた秘密」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)&br;[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)による。表記・送り仮名を改めた。]'' (要約) 昔、丹波国に稲村屋善助というお金持の商人が住んでいた。善助にはお園という娘がいた。 娘は父が家族ぐるみでつきあっていた友人で長良屋という者と結婚した。そして四年近く幸深い暮しを送った。 二人の間には男の子も一人生れた。だがお園は病気にかかり、亡くなった。 お園の葬式をすませた日の夜、亡くなったはずのお園が衣裳や手道具類がまだ納めたままになっている箪笥の前に立っている。 死人が自分の持物に執着するのは良くあることで、解決するには調度類を菩提寺に納める必要がある。 故に遺族はお園の衣裳道具を禅宗の菩提寺に納めた。しかし、お園の幽霊は消えず、困った遺族は住職の太元和尚に教戒済度を頼みに行った。 お園の幽霊と対面した和尚は、幽霊の未練が抽出しに隠されていた一通のお園に寄せられた恋文であることを突き止める。 和尚は手紙を他の人に見せずに焼き捨てると約束して未練を晴らした。幽霊が現れることはなくなった。 >''古典との比較'' 吉文字屋市兵衛『新選百物語』(明和五年<一七六八>刊)巻三の三「紫雲たな引密夫の玉章」 特徴 ***第三講目の内容 [#l6d3ba03] ***第四講目の内容 [#mb095361] ***第五講目の内容 [#e17f1af9] ***第六講目の内容 [#x1cdbf63] >''小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「策略」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)&br;[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)より。表記・送り仮名を改めた。]'' (要約) 罪人(死刑囚)は殿様に「過ちを犯したのは大馬鹿であるが故であり、知っての上でやらかした咎ではない。 人間馬鹿に生れついたからといってそいつを死罪にするのは間違っている。 必ず報いてやる(祟りを起こす)ぞ。」と言った。すると、殿様は「本当に口で言うほどお前が怨んでいるのなら、徴を何か示してくれるか。」 と尋ねて、罪人が肯うと、「首が刎ねられた後、あの飛石に噛みついてみるがいい。」と述べた。 そして罪人は刎ねられたが、首は転がって行くと見るや、突然、跳ねあがって飛石の上端に噛み付いた。 それで、殿様以外の人々は酷く恐怖し、妄執を抱く亡霊の為の施餓鬼供養を上申するに至る。 殿様は「彼奴の臨終の怨念は恐ろしいものであったが、私が彼奴に怨みの徴を見せてくれと言った時、 彼奴はその挑発にのった。私は彼奴の気持ちを復讐からよそへそらしたのだ。彼奴は是が非でも飛石に噛みつこうと固く決心して死んだ。 そしてその臨終の際の思いを果した。それ以外のことはもはや念頭に微塵もなかった。念頭からすっかり消えていたのだ。 だからこの件に関してお前等がこれ以上くよくよ心配するには及ばない」と返した。 実際、死んだ男はそれ以上別になんの祟りもひきおこさなかった。まったく何事も起らずじまいだったのである。 >''山崎美成(よししげ)『世事百談』(天保十四年<一八四三>刊)巻三の二十三「欺て冤魂を散(さんず)」&br;[『日本随筆大成<第一期>十八』(吉川弘文館、一九七六年)による。改行や振り仮名の一部省略、句読点の改変を行った。セリフには「 」を付した。]'' ***第七講目の内容 [#t0a3d1c2] #region(テクスト) ''テクスト'' >''[[小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「ろくろ首」>https://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/50327_35773.html]]'' 武士だった磯貝武連が出家して僧「囘龍(回龍)」となり、諸国を行脚していたある時、甲斐の山中で木こりの小屋に泊めてもらった。 深夜に目を覚ますと、その場にいた五人の体には胴体しかなく首がないことに気づく。 彼らが夜になると首を飛ばして獲物を探す「ろくろ首」だと悟った文献の知識に従い、 ろくろ首たちが首を離して飛び回っている間に彼らの胴体を家の外の茂みに隠した。 首たちが戻ってきて胴体がないことに気づくと、回龍に襲い掛かったが、 回龍はもと武士であり、勇敢かつ怪力で、手近な若木を引き抜き武器として、飛び回る五つの首を次々と叩き落とした。 四つの首は逃げ去ったが、主人である木こりの首だけは激しく抵抗し、乱打されながらも必死に回龍に飛びつき、遂に回龍の左袖に食いついた。 回龍は、その首を何度も殴りつけたが、首は袖から離れず、やがて長い呻きをあげて動かなくなり、死んだ。 しかし、その歯は固く袖に食いついたままで、回龍の力をもってしても顎を開かせることはできなかった。 #br 夜が明けると、隠した胴体と逃げ去った四つの首は忽然と姿を消していた。回龍は死んだ木こりの首が左袖に噛みついたままの状態で、旅を続ける。 信州諏訪の町に入ると、「生首を袖につけた僧侶がいる」と噂になり、騒ぎ立てる群衆によって捕吏(とりて)に捕らえられた。 役人たちは、その首を回龍が殺した人間の首だと考え、公然と罪をさらすとは何事かと回龍を責める。 回龍は微笑んでいるだけで何も答えなかったが、翌日役人の前に引き出された際、質問に対して大声で笑い、袖の首は自分がつけたものではないと話す。 その場にいた一人の老人が、それは珍しいろくろ首の仕業だと証言し、 また、回龍が武士時代の名を明かすと、その名声を知る人々が多かった為、彼は無罪放免となった。 #br 袖の首を元の小屋に戻し、他の身体と一緒に葬ろうと決めた回龍は諏訪を出て間もなく、追いはぎに遭遇し、衣類を脱ぐように命じられる。 回龍がこの首はろくろ首だと説明すると、追いはぎは「それは幸運なことだ」と言い、噛み付いた衣ごとその首を取って行った。 その後、ろくろ首の首であると気づき、恐怖に駆られた追いはぎはかつての小屋を探し、供養しようと思った。 追いはぎは首を小屋の後ろの茂みに埋めて塚を築いた。これが今も残るろくろ首の塚だと語られて物語は終わる。 >''『多聞院日記』(室町末~江戸初)巻四、天文八年七月の条'' (要約) 少女に蛇がずっとくっついている。殺しても何度も蘇る。 古禅僧が来て、少女に座敷を何遍も歩かした。蛇もその後ろに付いて歩いている。 何回か往復した時に禅僧が蛇の尾を踏み、蛇は鎌首を上げて振り返り睨んだ。 その瞬間に禅僧はふっと摑んで剃刀で殺した。そして「もう蘇らない」と言って、 「臨終の一念は肝要なのだ。この蛇は死に際に瞋恚(怒り)に没頭して少女への執念を忘れたので、甦れないのだよ」などと説明した。 >''十返舎一九『怪物輿論』(享和三年<一八〇三>刊)巻四の「轆轤首悕念 、却報福話」'' (抜粋なし) #endregion #hr 小泉八雲の「ろくろ首」と比較すると、小泉八雲のは風景の描写が追加されていると分かる。 (例:「美しい晩でした。空には一点の雲もなく、風もなく、月の光で草むらがくっきりと濃い影を落とし、(以下省略)」) #br また、十返舎一九の内容を見てみると、武勇の称賛が主である。(題名も「却って福を報せる話」である。) 小泉八雲は上記の要素を取り除いて不思議な話にまとめた。 十返舎一九は古い書物で表記方法も読み方も難解である。外人である小泉八雲にはとてもきつい。(なんなら日本人でも辛い。) 果たして、妻のセツは八雲の代わりに読めたのか。更に言えば、読めたとしても八雲は耳で理解できるのか。 #region(「ろくろ首」の種類) 作成途中 #endregion ***第八講目の内容 [#a2cbb33f] ***第九講目の内容 [#w8044242] ***第十講目の内容 [#pb18678a] ***第十一講目の内容 [#o422268a] ***第十二講目の内容 [#mc7a2b19] ***第十三講目の内容 [#b23e2b2d] ***第十四講目の内容 [#l7613d31] ***第十五講目の内容 [#m2a0ec3d] }} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,20,)