<a href="https://nichidaibunrigojokai.swiki.jp/index.php?cmd=related&page=%E8%BF%91%E4%B8%96%E6%96%87%E5%AD%A6%E8%AC%9B%E7%BE%A9%28%E9%96%80%E8%84%87%E5%A4%A7%29">近世文学講義(門脇大)</a> の編集
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> 近世文学講義(門脇大)
近世文学講義(門脇大)
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***第六講目の内容 策略① [#x1cdbf63] 気を逸らすことで祟りを避ける伝承。 >''小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「策略」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)&br;[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)より。表記・送り仮名を改めた。]'' (要約) 罪人(死刑囚)は殿様に「過ちを犯したのは大馬鹿であるが故であり、知っての上でやらかした咎ではない。 人間馬鹿に生れついたからといってそいつを死罪にするのは間違っている。 必ず報いてやる(祟りを起こす)ぞ。」と言った。すると、殿様は「本当に口で言うほどお前が怨んでいるのなら、徴を何か示してくれるか。」 と尋ねて、罪人が肯うと、「首が刎ねられた後、あの飛石に噛みついてみるがいい。」と述べた。 そして罪人は刎ねられたが、首は転がって行くと見るや、突然、跳ねあがって飛石の上端に噛み付いた。 それで、殿様以外の人々は酷く恐怖し、妄執を抱く亡霊の為の施餓鬼供養を上申するに至る。 殿様は「彼奴の臨終の怨念は恐ろしいものであったが、私が彼奴に怨みの徴を見せてくれと言った時、 彼奴はその挑発にのった。私は彼奴の気持ちを復讐からよそへそらしたのだ。彼奴は是が非でも飛石に噛みつこうと固く決心して死んだ。 そしてその臨終の際の思いを果した。それ以外のことはもはや念頭に微塵もなかった。念頭からすっかり消えていたのだ。 だからこの件に関してお前等がこれ以上くよくよ心配するには及ばない」と返した。 実際、死んだ男はそれ以上別になんの祟りもひきおこさなかった。まったく何事も起らずじまいだったのである。 >''酷似したもの'' ・山崎美成(よししげ)『世事百談』(天保十四年<一八四三>刊)巻三の二十三「欺て冤魂を散(さんず)」 ・馬場文耕『皿屋舗辨疑録』(宝暦八年<一七五八>序・写) 山崎美成のものは殿様ではなく主人、馬場文耕のものは人切役になっている。 また、馬場文耕のものは峰打ちをし、罪人の気が逸れた瞬間に殺すことで祟りを避けた。 #br ・馬場文耕『皿屋舗辨疑録』(宝暦八年<一七五八>序・写)十「伝通院三日月了誉上人、菊が怨念を鎮め給ふ事」 ・祐佐『太平百物語』(享保十七年<一七三二>)巻一の四「富 次郎娘、蛇に苦しめられし事」 両方とも蛇が女に恋をして付き纏うのを退治する話。同じく気が逸れた瞬間に殺すことで悪霊になるのを避けた。 祐佐のものは蛇の執着が強くて何度も蘇り、困っていたところに僧侶が訪れた。
#include(日本文学史・日本文学講義項目,notitle) #contents |BGCOLOR(#555):COLOR(White):200|520|c |BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):''分類''|''国文学科選択必修/国語科教員選択必修''| |区分|[[国文学科]]科目| |履修形態|一般(人数過多の場合は抽選)| |履修条件|二年生以上| |単位数|2| |講師|[[門脇大]]| |学位等|文理学部(学士(文学))| *概要 [#Gaiyou] 明治時代に日本にやってきた小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)は、日本の文化・風俗・伝承などに強い興味を抱き、数多くの作品を著した。 それらは口碑伝承として伝わるとともに、江戸怪談にルーツを求めることができるものも多い。小泉八雲の作品と江戸怪談・口碑伝承等を読み比べる。 異国から来た八雲の目を通して江戸怪談を読み直すことによって、時代と文化の相違に留意しながら多角的に文学作品を読み解いてゆく。 #br 毎回、Canvas LMSで授業に関するあれこれを授業資料に沿って具体的に記入するように求めるリアクションペーパーを提出する。(出席確認を兼ねる。) &color(Red){提出可能時間は30分であるので出し忘れに要注意。}; また、期末試験がある。 #br この科目は文理学部(学士(文学))のディプロマポリシーDP1,2,3,4,5,8及びカリキュラムポリシーCP1,2,3,4,5,8に対応している。 *講師の印象 [#Inshou] 親しみやすい。 //時々、ギャグを挟む。 *令和七年度(2025年度) [#h81d5434] 後期のみ開講。授業内容は毎年変えるらしいので参考程度に。 //人工知能対策で期末試験への持ち込みは不可。ただし、第十三回講義に出た場合は... #style(class=submenuheader){{ **後期 [#wd7538bd] }} #style(class=submenu){{ |BGCOLOR(#555):COLOR(White):200|520|c |BGCOLOR(#fc2):COLOR(Black):授業形態|対面授業/遠隔授業| |日程/教室|水曜日 四限目/412教室(四号館一階二番教室)| ***第一講目の内容 [#l17a1291] #region(小泉八雲略年譜) >''小泉八雲略年譜'' -%%%一八五〇年(嘉永三年)%%% 六月二十七日、ギリシャのイオニア諸島のひとつ、レフカス島で、アイルランド人の父とギリシャ人の母との間に生まれる。 パトリキオ・ラフガディオ・ハーンと名づけられた。 -%%%一八五四年(安政元年) 四歳%%% 父はクリミア戦争に出征。八月、弟ジェームズ生まれる。母はハーンを大叔母に預け、単身ギリシャに帰る。 -%%%一八五七年(安政四年) 七歳%%% 父母離婚。 -%%%一八六六年(慶応二年) 十六歳%%% ジャイアント・ストライドという遊戯中に左目を強打し、失明。→写真には必ず左目を見せないように写るようになる。 父がインド熱にかかり、スエズで死亡。 -%%%一八六七年(慶応三年) 十七歳%%% 十月、大叔母が破産したため、ウショー校を中退。 -%%%一八六九年(明治二年) 十九歳%%% 単身アメリカに渡り、職を転々とする。 -%%%一八七四年(明治七年) 二十四歳%%% 日刊新聞『シンシナティ・インクワイヤラー』紙の記者となる。 -%%%一八七五年(明治八年) 二十五歳%%% 黒人との混血女性、マルシア・フォリーとの同棲生活が原因でインクワイヤラー社を解雇される。 -%%%一八八四年(明治十七年) 三十四歳%%% 処女再話集『異文学遺聞』出版。ニューオーリンズ百年祭記念博覧会で、日本政府の事務次官・服部一三に、日本についての細かい質問をする。 →日本に興味を持ったか。 -%%%一八八七年(明治二十年) 三十七歳%%% 第二再話集『中国怪異集』出版。西インド諸島のマルティニーク島に行き、その後二年ほどこの島の町サン・ピエールで過ごす。 -%%%一八九〇年(明治二十三年) 四十歳%%% 三月、バンクーバーから汽船で横浜に向かい、四月四日、横浜に着く。八月、島根県松江尋常中学校ならびに師範学校の英語教師として赴任する。 十二月、教頭西田千太郎の媒酌で、小泉セツと結婚。 -%%%一八九一年(明治二十四年) 四十一歳%%% 十一月、熊本の第五高等中学校に転任。 -%%%一八九二年(明治二十五年) 四十二歳%%% アトランティック・マンスリーに『見知らぬ日本の面影』を連載。 -%%%一八九三年(明治二十六年) 四十三歳%%% 十一月、長男の一雄が生まれる。 -%%%一八九四年(明治二十七年) 四十四歳%%% ハーンの日本に関する最初の著書『知られぬ日本の面影』全二巻を出版。十一月、熊本での契約切れを機に『神戸クロニクル』の論説記者となり、神戸に移る。 -%%%一八九五年(明治二十八年) 四十五歳%%% 二月、眼病のためクロニクル社を退社。九月、『東の国から』を出版。日本人の気質をみごとにとらえた名著として、世界に喧伝される。 -%%%一八九六年(明治二十九年) 四十六歳%%% 二月、帰化が認められ&color(Red){小泉八雲};と改名。三月、『心』を出版。八月、神戸を去って夫人と上京。九月、市ヶ谷の富久町に居を定め、英文科講師として東京帝国大学に通う。 -%%%一八九七年(明治三十年) 四十七歳%%% 二月、二男の巌生まれる。三月、松江以来、公私にわたり力となった西田千太郎死去。九月、『仏の畑の落穂』を出版。 -%%%一九〇二年(明治三十五年) 五十二歳%%% 三月、西大久保の新居に移る。『日本お伽噺』を東京で出版。十月、『骨董』出版。 -%%%一九〇三年(明治三十六年)五十三歳%%% 一月、東京帝国大学文科学長井上哲次郎の名で、解雇通知を受け取る。ハーンはこの突然の仕打ちに激怒する。学生たちによる留任運動が起こる。 九月、長女の寿々子生まれる。 →ハーンの後任はかの夏目漱石であり、漱石は小泉八雲の後は恐れ多いと固辞した。(最終的には引き受けた。) -%%%一九〇四年(明治三十七年) 五十四歳%%% 三月、早稲田大学文学部に出講する。四月、『怪談』を出版。九月二十六日夜、狭心症のため死去。十月、『日本―一つの試論』出版。 #endregion #hr #region(小泉八雲の語り) ''小泉八雲の語り'' >''小泉八雲「神々の国の首都」(『知られぬ日本の面影』、一八九四年、所収)&br;[ラフガディオ・ハーン著、池田雅之訳『新編 日本の面影』(KADOKAWA、二〇〇〇年)による。]'' (抜粋) '''松江の一日は、寝ている私の耳の下から、ゆっくりと大きく脈打つ脈拍のように、ズシンズシンと響いてくる大きな振動で始まる。''' '''柔らかく、鈍い、何かを打ちつけるような大きな響きだ。''' '''その間の規則正しさといい、包みこんだような音の深さといい、音が聞こえるというよりも、枕を通して振動が感じられるといった方がふさわしい。''' '''その響きの伝わり方は、まるで心臓の鼓動を聴いているかのようである。それは米を搗く、重い杵の音であった。''' #br →松江について、視覚ではなく聴覚で描写している。片目が見えない為か。 >''小泉節子「思い出の記」(日本での初出は、一九一四年)&br;[ラフガディオ・ハーン著、池田雅之訳『新編 日本の面影II』(KADOKAWA、二〇一五年)による。]'' (抜粋) '''私が昔話をヘルンに致します時には、いつも始めにその話の筋を大体申します。面白いとなると、その筋を書いて置きます。''' '''それから委しく話せと申します。それから幾度となく話させます。''' '''私が本を見ながら話しますと「本を見る、いけません。ただあなたの話、あなたの言葉、あなたの考えでなければ、いけません」と申します故、''' '''自分の物にしてしまっていなければなりませんから、夢にまで見るようになって参りました。''' #br →小泉八雲は口伝えを重要視していた。 #endregion #region(小泉八雲と雪女) ''小泉八雲と雪女'' 人を取り殺すといったストーリー性のある『雪女』は小泉八雲の創作と見られる。 >''『小泉八雲事典』(恒文社、二〇〇〇年)、「雪女」の項(牧野陽子)'' 『怪談』所収。茂作 と巳之吉 という二人の樵 が、ある冬の晩、山から帰る途中で吹雪に合い、小屋に逃げ込む。すると、夜中に雪女が現れて、年老いた茂作を殺すが、若い巳之吉の 方は、この夜のことを決して口外しないという条件で助けてやる。その後、巳之吉はお雪と いう美しい女と出会って結ばれ、子だくさんの幸せな家庭を築くが、ある夜、ふと雪女のことを話したために、お雪は正体をあらわし、巳之吉を捨てて去ってゆくという、周知の物語である。(中略) #br 「雪女」をめぐる、もうひとつ興味深い問題は、その原話との関係である。ハーンの再話作品には、ハーンが依拠した日本の原話が文献として残っていることが多いのだが、「雪女」の場合は原話がどのようなものだったのか、はっきりわかっていない。(中略。『怪談』序文、『知られぬ日本の面影』「幽霊と化け物」、熊本時代のチェンバレン宛書簡に言及)ただ、そこに登場するのは、どちらも雪という自然現象の化身としての素朴な雪の精、雪の妖怪にすぎず、物語性はない。 興味深いのは、江戸時代以前の日本の文献に残っているさまざまな雪女伝説がほとんどこのような素朴な雪神信仰の反映したものが多い(なかに笑い話や吹雪で遭難した人の幽霊話もある)にもかかわらず、昭和以降に採取された日本の、とくに豪雪地帯の民話の中に、ハーンの作品そっくりのものがかなり見られることである。ハーンが聞いたという調布村の百姓の話を書き留めていない以上、推測の域をでるものではないが、ハーンは単純素朴な原話を核に、自由に想像力をはたらかせて創作に近い作品を作りあげたのかもしれない。そして、 そのハーンの作品が作者を離れて、各地に広く深く浸透してゆき、新たな日本の民話としてすっかり定着したのだと想像できる。 >''小泉八雲『怪談』「序文」(明治三十七年<一九〇七>)[小泉八雲著・平井呈一訳『怪談・骨董他』(恒文社、一九七五年)による。]'' 「雪おんな」という奇談は、西多摩郡調布村のある百姓が、土地につたわる伝説として、わたくしに語ってくれた話。このはなしは、日本の書物にすでに書かれてあるかどうか知らないが、話のなかに出てくるあの異常な信仰は、きっと日本の各地に、いろいろの変わった珍らしいかたちで、つねに存在していたものであろう。 >''ラフガディオ・ハーン「幽霊とお化け」(『知られぬ日本の面影』、一八九四年、所収)&br;[ラフガディオ・ハーン著、池田雅之訳『新編 日本の面影II』(KADOKAWA、二〇一五年)による。]'' (抜粋) 朝方、雪が激しく降っていたが、夜には空も冴え渡り、しーんと静まり返った冷気が、ダイアモンドのように澄んでいる。 一歩進むたびに、凍り付いた雪が、足下でサクサクと心地好い音を立てる。思わず「金十郎、雪の神様っているのかい」と尋ねてみた。 「さあ、いかがなものでしょう」と金十郎が答えた。 「私が存じ上げない神様だって、たくさんいます。神様の名前を全部知っている者なんて、どこにもいませんよ。ただ雪女ならいますがね」 「雪女って?」 「雪の中にいて、いろんな顔に変化する、真っ白けの女のことです。別に人に危害を加えたりはしません。ただおどかすだけです。 昼間は、ぬーっと顔をつき出して、一人旅の者など をおどかしたりします。 でも、時々、夜になると立ち上がり、立ち木よりも大きくなるんです。 そして、しばらくあたりを見回していたかと思うと、やがて吹雪と一緒にかき消えてしまうんです」 「顔つきはどんなかね?」 「真っ白で、やたらに大きい顔をしてますが、とてもさびしそうな顔をしています」 (金十郎はここで「さびしそうな」という言葉を使っているが、私が思うに、これは「不気味な」という意味で使ったのであろう) 「今まで見たことあるのかい、金十郎」 「いや、まだございません。でも、親父ががきの時分に見たといっておりました。 なんでも雪の中を近所の遊び仲間の家に向かう途中、大きな白い顔が雪の中からぬっと立ち現れ、さびしそうにあたりを見回していたんだそうです。 親父は怖くなって大声を上げて、逃げ帰って来たそうです。家中の者が外に出て、あたりを見回しても、雪がしんしんと降っているだけでした。 それで、これは雪女の仕業だと合点したそうです」 「今でも、雪女をみかけるのかね」 「ええ、大寒と呼ばれる一年で一番寒い時分に、藪村にお参りにいく連中が、何度か出くわしたそうです」 #endregion #hr 小泉八雲の語りの一つに母の幽霊が飴を買って赤子に食わせるという話がある。 そこに記された「愛は死よりも強し」という言葉はロマンスであり、ハーンの来歴と関連するか。 ***第二講目の内容 葬られた秘密① [#c238df2d] 小泉八雲は古典作品を再話した。古典の内容と何が異なっているかに注目すると、その話の変化の仕方に気付ける。 >''小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「葬られた秘密」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)&br;[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)による。表記・送り仮名を改めた。]'' (要約) 昔、丹波国に稲村屋善助というお金持の商人が住んでいた。善助にはお園という娘がいた。 娘は父が家族ぐるみでつきあっていた友人で長良屋という者と結婚した。そして四年近く幸深い暮しを送った。 二人の間には男の子も一人生れた。だがお園は病気にかかり、亡くなった。 お園の葬式をすませた日の夜、亡くなったはずのお園が衣裳や手道具類がまだ納めたままになっている箪笥の前に立っている。 死人が自分の持物に執着するのは良くあることで、解決するには調度類を菩提寺に納める必要がある。 故に遺族はお園の衣裳道具を禅宗の菩提寺に納めた。しかし、お園の幽霊は消えず、困った遺族は住職の太元和尚に教戒済度を頼みに行った。 お園の幽霊と対面した和尚は、幽霊の未練が抽出しに隠されていた一通のお園に寄せられた恋文であることを突き止める。 和尚は手紙を他の人に見せずに焼き捨てると約束して未練を晴らした。幽霊が現れることはなくなった。 >''古典との比較'' -吉文字屋市兵衛『新選百物語』(明和五年<一七六八>刊)巻三の三「紫雲たな引密夫の玉章」 --説教臭い。儒教的思想。 --一通の恋文ではなく、数十通の不義(密通)の手紙が見つかる。 --寺の宣伝の要素「大元和尚の宗弟の物語りぞと聞きおよぶ」→この寺は凄い!! -根岸鎮衛『耳袋』(天明~文化<一七八一〜一八一八>写)巻三の二十八「明徳の祈禱 、その依り所ある事」 --寺の宣伝の要素が強い。「祐天大僧正は、その徳いちじるき名僧なりしよし。」(祐天大僧正:一六三七~一七一八年の浄土宗の高僧。多くの霊験譚が伝わる。) --「艶書おびただしくありし」 ***第三講目の内容 葬られた秘密② [#l6d3ba03] >''初代悟道軒圓玉「執念の恋文」&br;(『神戸新聞』昭和十年<一九三五>八月十日「夕涼み怪談集」の一話。同じ記事が『九州新聞』昭和十年<一九三五>八月二十九日「夕涼み怪談道具」にも載る)'' *湯本豪一編『昭和戦前期怪異妖怪記事資料集成』(国書刊行会、二〇一六年)による。現在通行の字体に改め、句読点を補い、振り仮名を省略した箇所がある。 「佐藤と云ふ人から寄せた恋文があつた。これを主人に見せたくないとの一念が茲に現れたものであらう。」 >''『諸国百物語』(延宝五年<一六七七>刊)巻三の十九「艶書の執心、鬼と成りし事」'' (要約) 「婦人の翫ぶ水牛にて造れるはり形といふ具」(ディルド)が長く大切にされたことで夜な夜な寝ている妻の傍に怪しい人影を生み出すようになった。 川に流したら治まった。 >''堤邦彦「幽霊の遺念――僧侶必携マニュアル」(堤邦彦『女霊の江戸怪談史――大衆化する幽霊像』、三弥井書店、二〇二四年、第一章Ⅳ)'' 『新選百物語』と『耳嚢』所収話をとりあげて、後者を「累 怨霊の鎮魂で名高い祐天 かさね の法力譚のひとつ」と捉えて、 以下のように本話の背景を推測する。 文化十一年(一八一四)の編述とされる『耳嚢』の一話をもって『新選百物語』の素材を論じるのは、 従来の典拠論的な見方からいえば、たしかに無理があるかもしれない。成立年代の順が逆になる、からだ。 一方、遺念のこもる品を処分する呪法が、近世の僧坊、例えば祐天を輩出した浄土宗門の内部にひろく共有されていたとしたらどうであろうか。 (中略) 堤邦彦氏は講師の師匠に当たる人らしい。 #br こうした伝承は浮世草子→耳袋→八雲という風に伝播したと思われる。 ***第四講目の内容 鳥取の布団の話① [#mb095361] 比較すると、話の変わり方が判る。 #region(テクストと考察) ''テクストと考察'' >''鳥取の布団の話&br;小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「日本海に沿って」(『知られぬ日本の面影』、一八九四年、所収)'' 註釈:海外向けの出版だったので元々は外国語で書かれていた。 (要約) 鳥取の町に小さな宿屋が開業し、1人の旅商人男性が初めての客として宿泊。 ところが、深夜ふとんの中から「あにさん寒かろう」「おまえこそ寒かろう」という子供の声が聞こえてきて目を覚まし、幽霊だ!と主人に訴えた。 その訴えを主人は相手にしなかったが、その後も宿泊客があるたびに同じような怪異が続き、ふとんがしゃべる声を宿屋主人も遂に聞く。 ふとんを購入した古道具屋に宿屋主人が事情を訊くと次のように答えた。 #br そのふとんは、鳥取の町はずれにある小さな貸屋の家主から古道具屋が購入した物。 その貸屋には、貧しい夫婦と2人の幼い兄弟が住んでいたが、兄弟を遺して夫婦は相次いで死去。 両親が遺した家財道具・着物を兄弟は売り払いながら何とか暮らしていたが、ついに1枚の薄いふとんだけになってしまう。 大寒の日、兄弟はふとんにくるまり「あにさん寒かろう」「おまえこそ寒かろう」と気遣い合う。 #br やがて冷酷な家主がやってきて、家賃の代わりに最後のふとんを奪い取り、兄弟を雪の中に追い出す。 兄弟は行くあてもなく、少しでも雪をしのごうと、追い出された家の軒先に入って2人で抱き合いながら眠ってしまう。 神様は2人の体に新しい真っ白なふとんをかけておやりになった。寒いことも怖いこともモウ感じない。しばらく後に2人の亡骸が見つかり、千手観音堂の墓地に葬られた。 兄弟を哀れに思った宿屋主人は、ふとんを寺へ持参して、かわいそうな兄弟への供養が行なわれると、ふとんがモノを言うことはなくなったという。 >''「セツが八雲にアイデア 怪談「鳥取のふとんの話」市内講演で小泉凡さん明かす」(「山陰中央新報デジタル」二〇二四年八月十二日付)'' *「山陰中央新報デジタル」(https://www.sanin-chuo.co.jp/articles/-/627050、二〇二五年十月二十日)による。 小泉八雲記念館(松江市奥谷町)の小泉凡館長が10日、鳥取市内で講演し、曾祖父の八 雲の怪談「鳥取のふとんの話」のアイデアを提供したのは、八雲の妻セツだと明かした。セツが前夫の鳥取藩士に聞いた話を八雲に伝えたという。 八雲が良き補佐役としてセツの才能を見いだした逸話だとした。(中略)八雲は著書で、浜村(鳥取市)の旅館の従業員に聞いた話だと記している。 小泉館長は、八雲とセツの長男が「セツが伝えた」と語っていたとし、食い違いは、八雲が著書で家族に触れるのを控えていたためで、 別の記述で、セツのことを「ある女」と伏せていた例もあるという。 >''根岸鎮衛『耳袋』(天明~文化<一七八一から一八一八>写)巻五の三十六「修験忿意執着の事」'' (要約) 冬になったので夏の頃に質へ預けていた布団を出した。しかし、その布団は眠っている時に、「祖母々々暖なる哉」と声を出す。 大に驚て質屋へ向かい、このことを伝えたが、原因らしい事柄は一つもなかった。 何が原因かと考えていると、ふと、修験者が手の内(乞食などにほどこす金銭や米)を求めてきたが、忙しかった上に物乞う様子も無礼だったので、 いい加減に対応したことを思い出した。 きっとそれが原因だろうから修験者がまた来たら施しをしようということになった。 そして、また来た時に施しといい加減に対応したことの詫びをしたところ、怪は治まった。 >''大田南畝『半日閑話』(成立年未詳)巻十三「中野の訛言」(安永六年<一七七七>)&br;三月、此頃中野の先関といふ処の地に、うなる声有とて人皆云伝ふ。'' (抜粋) 此頃の訛言に、中野の辺の者、夜着を求めてかつぎて臥したるに、夜半に夜着声を出して、 「暑乎、寒乎」と問ふ。其人おそれて、「いそぎ旧主に返す」といふ。 石の言しは『春秋伝』に見へたれど、夜着のものいふ例しを聞ず。桃園の桃にものいはぬも愧よかし。 >''「須坂町の怪談」(『信濃毎日新聞』明治四一年<一九〇八>一月六日付)血汐に染りし古綿の蒲団'' (抜粋) 新年早々、薄気味の悪き怪談は、上高井郡 須坂町に於て喧しく伝へらる。先づ其巷説より記さんに、 同町字春木町の某、過日、字新町の某質商より古蒲団を買入れたるが事の起りにして、 一夜某の妻おナニが其蒲団を用ひて眠に就きしに、草木も眠る丑三ッ頃、アーラ不思議や、其蒲団が「姉ー暖いか〱」と喚び起せり。翌早朝、此由夫に物語れば、 其れは神経作用なるべし。今夜は吾れ試みんとて、同夜、其蒲団を用ひしに、夜は深々と更くる頃、「兄暖いか〱」と、前夜妻に言ひたる如く聞ゆるにぞ。 不審に堪えず、翌日早々、此蒲団を破りて仔細に改めしに、コハ如何に、上側は新しき綿 にて包み、中は古 綿 のみにて、しかも親指を切断せる如きもの二本あり。 且、古綿は悉く血汐に汚れ居るより、其驚き一方ならず。直に警察署に届け出でたりといふにあり。 噂は巷より巷に伝はりて、至る所、寄ると触ると此怪談にて持切りの有様なり。(五日午前須坂電話) #br ○須坂町の怪談(後報) 別項の如く、容易ならざる怪談の喧伝せらるゝを以て、直に同地なる特派員をして探知せしめたる結果は左の如くなり。 (以下省略) 「須坂町の怪談」は小泉八雲の後の作品(新聞)。文中に現れる神経作用は当時の頻出単語。特派員を送るというのが明治時代らしい。 最終的には同業者の嫉みによる噂ではないかと結論付けられた。 #endregion ***第五講目の内容 鳥取の布団の話② [#e17f1af9] 小泉八雲は廃仏毀釈などの運動に反感を持っていた。 #hr 典拠論は似た話(噂や口承)を沢山集めて比較する。 下記のテクストを比べると新聞と小泉八雲が同じ(あるいは似た)何かから影響したと考えられる。 新聞⇦(元ネタ)⇨小泉八雲 #region(テクストと考察) ''テクストと考察'' >''「不思議の布団」(『静岡民友新聞』大正五年<一九一六>三月二十三日付)'' 富士郡吉原町横町、古着商佐野孫作方にて数日前売渡したる布団は、不思議な事に人が物を云ふ様な奇声を発するので、 此程、売主、孫作に返却し来たるより、同家では早速布団を解いて中身を改めた処、 血の塊りが綿に染込んで居るので、喫驚仰天、附近の評判となり居れり、と。 >''「夜々蒲団が物を言う「ぬくかろが〱」と 解いたら黒血の浸んだ綿が出た」(『山陽新報』大正十一年<一九二二>三月十八日付)'' 県下後月郡出部村(岡山県にあった郡)、七日、市井笠鉄道踏切附近で、貧しく暮らす 佐藤某方では、某所から古蒲団一枚を買入れ、主婦がその夜被 つて寝た所、夜半になつて、 「ヌクカロガ〱と」連りに蒲団が物言ふので、気味悪がり、隣家の誰彼れにコツソリ咄すと、 青年達は、「文明の世の中にソンナ事があるものか」と冷笑し、「まあ〱物はためし」と、 或る夜、該蒲団の中へもぐり込んで試みると、果して夜半になると、「ヌクカロガ〱」と声がするので、怖気立ち飛んでかへつた。 また、主人が「馬鹿なことを言ふな」と小言たら〲その蒲団を被つて眠るに、 亦ぞろ、夜中になると、「ヌクカロガ〱」と声がするので気味悪く、その蒲団を解いて見た所、黒血の浸んだ古綿が一かたまりあつた、と。 その蒲団は、普通古物としても五円位の相場であるのを一円五十銭て買つたので、何かそこに言はくがあるのかも知れないと、附近でも目下大評判となつてゐる。 >''「怪談奇譚(十)兄えさん寒からうと物を言ふ蒲団 可憐な幼き兄弟に絡る哀話」(『東京毎日新聞』大正十三年<一九二四>七月六日付)'' 震災はいろいろの哀話を生んだが、この冬から春にかけて、虎の門公園(虎ノ門は、現在の東京都港区)に■宿した一労働者が■■■て居た布団が、 ■で云ふ丑三つの午前二時頃の真夜中になると、毎夜、「兄さん寒かろ、お前寒かろ」といふ、悲痛な唸りを発するので、 その労働者は哀れにも神経を病んで、最近黄泉の旅へ行つたといふ&color(Red){実話がある};。 #br 布団は主なき後、乞食が拾つて行つたが、■■らず、「兄さん寒かろ、お前寒かろ」をやられるので、気味が悪く■て■終つた。 只今は、深川平久町の埋立地で、ぼろぼろになつて見る影もなく、■風吹く露天に曝されてゐる。 薄気味悪いこの布団の由来を尋ねると、元は下谷万年町のとある長屋に住んでゐた、 兄が十三、弟が十一の両人で、両親(註:「ふたおや」と読む)が置いて死んだ借金の責苦に遭つて、 無情な高利貸に毎日毎夜脅され、下駄の鼻緒の縫ひ賃で僅に得たお金の中から、責められるが儘にその借金の 済■に努め、喰ふや喰はずの日を送つてゐた中、弟は営養不良のために遂に自由の利かぬ身となつた。 兄はいたいけにも可憐な弟の看病の旁、鼻緒の手仕事に精出してゐたが、何んと言つても子供の事であるから、 到底生活の出来やう筈はなく、日に迫る貧苦と戦ひ、一方、且夕命に迫つた。 弟の顔を見ては生きてゐる心地はない。日を経るに伴れて、彼等が最も心を痛めるのは、高利貸に責められる事であつた。 或日、例の如く恐ろしい顔付きで借金取りが来たが、何んと言つて頼んで■、兄弟等の言ふことには、「聞く耳を持たない」と怒鳴り、ありもせぬ家財は悉く差押へられた。 ■は一昨年の冬の出来事。両人は著る物もなく、押へられた布団のそばで■■し、「兄さん寒からう」、「お前寒からう」と言つて、寒さと飢に堪へ得ず、遂に死んだのである。 その布団が、不思議にも震災で焼けず、労働者の手に渡つて今日に及んだものだそうであると、浅草公園の浮浪者の&color(Red){実話である};(此稿終) ↑震災とは関東大震災のこと。前年の一九二三年九月一日に発生した。 >''「奇談怪談(二十三)背中の蒲団が呼ぶ 甲府のだんだら坂の途中で胆を潰した茂助爺さん」(『報知新聞』昭和四年<一九二九>八月十四日付)'' (抜粋) 山梨県御代咲村に、壮者を凌ぐ元気さと正直で評判の茂助と呼ぶ■身者の老人が居りました。 御用きゝが渡世で、毎日雨でも風でも甲府市との間を往復してゐました。 晩秋のある日、少し用達にひまどつたと思ふと、釣瓶落としに日が暮れて、爺さんが帰路についた頃は、もうあたりが真ッ暗でした。 が、馴れた道だし、提灯も持たず、存外安く買込んだ古蒲団を背負つて、元気よく三里のだんだら坂にかゝりました。 (中略) と、その途端に冷々とした風がスーッと全身を撫でゝ通りすぎますと、「待つて下さい……」と、細々とした力ない女の声が茂助爺を呼びかけました。 ギク!としたものゝ、立停つて反射的に振り返りました。が、何の人影も見えません。 あたりは真ッ暗です。「気のせゐかなあ」と思つて、また歩きつゞけました。と、また、「待つて下さい……」。同じやうな女の声です。 「これや可怪しい!」。茂助爺は、きつとなつて振り返ると、「誰だ!」と背後の暗(註:「やみ」と読む)へ怒鳴りました。 が、何の反響もなく、暗は大声を吸ひ込んでしまふと、あとは一■深々としてゐます。詮方なく、また歩きつゞけようとしたのです。 すると、今度は直ぐ耳の■で、「待つて下さい……」。さすがの茂助爺もすつかり脅えました。 そして、何んだか背負つてゐる古蒲団の中から、ニユーッと女の手が出て来て、爺の首筋をつかみに来るやうな気がしてなりません。 さうなると、もう一歩も前へ進むことが出来ず、思案にあまりました。また、「待つて下さい……」。すぐ背後から、つかみかゝるやうに呼びかけました。 #br それからあとは夢中でしたが、古蒲団の包を放り出して逃げて帰りました。翌日、茂助爺はあんまり奇怪な昨夜の出来事を村の人々に語りました。 すると、若い者等は、我れも我れもと大勢件の坂の上り口へ見に行きました。そこには爺さんの話したやうに、古蒲団の包が転がつてゐましたが、 怪しさうな気配もありませんで、爺さんも安心して件の包を持ち上げました。と、「アッ!」と、若者等は叫びました。 その包から、サラ〱と女の髪の毛が落ちたからです。 さあ大変――わい〱いひながら包を囲んで騒いでゐましたが、やがて意を決して皆の手で包を解いてみることになり、ひろげて見ました。 と、どうでせう――古蒲団には一めんに血痕がついて居り、女の髪の毛がからみついて居ます。一同は慄然としてしまひました。 出所を調べますと、その蒲団は、甲府市の△△家のもので、夫が情夫と駆落ちするため寝てゐた妻を縊殺して包んであつた蒲団だとわかり、この奇怪ななぞが解かれたやうです。、、 女の亡魂――。それは、いまから六年前にあつた事です。茂助爺は、今でも当時のことを思ふと肌が寒くなるさうです。(横浜市 森川氏寄) >''「泣きフトン」(『先島朝日新聞』昭和十年<一九三五>三月十八日付)(黒島字東筋の怪事、持主其場に発狂す)'' 春の夜に踊る怪談!! 竹富村字黒島東筋の西原美屋加夫婦は五歳になる長男があったが、昨年の春、就寝中右長男が急死した為、当時の布団を妹夫婦に呉れてあつた所……。 去月のこと、例の布団をかけて夫婦就寝の中に於て、幼児の泣声がしたため、驚いて隅の方へ蹴飛したるに、其布団は震動をなし、尚ほ幼児の泣声が続けられた……。 ソレヲ見た妻は……可愛相に発狂した。此の布団は那覇の質屋から流れ来たものであると。」 #br 追記。 目下、当地で開演の俳優連が「泣キフトン」買入れの為、去る十八日黒島に傭船した。 実物に対し、金拾五円と云ふ高値を唱へたりしが、持主は現地にあらず。遠く「パラオ島に出稼中の事にて、不調で同本日帰来せりと云ふ」以上。 袋風荘 三月廿二日探知 >''静観房好阿『諸州奇事談』(寛延三年<一七五〇>刊)巻二の八「執着の小袖」'' 今は昔、東武の去る人の奥に勤ける局 、ある時三つもの売とて、古小袖をあきなふ者の方より、 地は紗綾にて、もやふは空色に蕣の花を縫たる古小袖の絵様 おもしろく、気に入たれは、 買求て衣桁に懸置けるに。折ふし、傍輩の女中来りけるゆへ、 「かゝるもやうの小袖、古けれと、雛形にもなき絵様のおもしろさに、めでゝ調へたり。見給へ」といふに、 各ゑしやくして一間へ行、衣桁に近寄て見れば、かの小袖の両の袖口より、白き手あらはれ、 野辺の草葉を風の吹さそふことく、ひらり〱とうこきたるを、皆、二た目とも見ず、肝を消して走り出しが、 流石にあからさまにもいわれず、やう〱驚きたる胸をおししづめ、さりけなき体にもてなし、局のまへに出て、 「扨〱、よき御小袖にて」と、そこ〱に挨拶して立去りしが、おそろしさ身に染わたり、皆同じ枕に打臥て、四、五日か程煩けるとぞ。 局は、かくともしらず、「此小袖、着てみん」と、衣桁より取て、ひらりと打着たるに、 我手より先に、氷りのごとくひやゝかなる白き手、袖口より出して、我手にさわりける程に、「あつ」とさけびて投出し、 早速売たる町人をよひて、「あたひ返弁におよはず。此小袖、片時もはやく持去るへし」と、手もふれずして、其男に返しあたへぬ。 そも〱、此小袖は、ある武士の家にて、密通したる女の成敗せられたる。それが着たる小袖にて、 其者の執心、日ころ愛せし小袖に残りとゝまりたるなりけり。あはれ、心あらん人は、古着の小袖は求まじき物なり。 かゝるけやけき妖怪こそ、希なれ。刑罰・横死の輩 、末期まて着したるも、かず〱ありなん。 けがらはしき物におゐて、又此上やあるへきとて、彼家には、末〱の者迄、古着調へて着用するものなかりしと、慶安年中の物語なり。 >''紅葉園主人『怪談旅硯』(寛政三年<一七九一>刊)巻五の二「振袖小袖怪異の事」'' (省略) >''宮部みゆき『幻色江戸ごよみ』(初版は、一九九四年、新人物往来社)'' -第五話「庄助の夜着」(概要) (内容省略) -第八話「小袖の手」(概要) (内容省略) #endregion #hr 以下4つは国書刊行会が書籍にしたもの。つまり国益に適うと見做された。 ・「不思議の布団」 ・「夜々蒲団が物を言う「ぬくかろが〱」と 解いたら黒血の浸んだ綿が出た」 ・「怪談奇譚(十)兄えさん寒からうと物を言ふ蒲団 可憐な幼き兄弟に絡る哀話」 ・「奇談怪談(二十三)背中の蒲団が呼ぶ 甲府のだんだら坂の途中で胆を潰した茂助爺さん」 ***第六講目の内容 策略① [#x1cdbf63] 気を逸らすことで祟りを避ける伝承。 >''小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「策略」(『怪談』明治三十七年<一九〇四>所収)&br;[平川祐弘編『怪談・奇談』(講談社、一九九〇年)より。表記・送り仮名を改めた。]'' (要約) 罪人(死刑囚)は殿様に「過ちを犯したのは大馬鹿であるが故であり、知っての上でやらかした咎ではない。 人間馬鹿に生れついたからといってそいつを死罪にするのは間違っている。 必ず報いてやる(祟りを起こす)ぞ。」と言った。すると、殿様は「本当に口で言うほどお前が怨んでいるのなら、徴を何か示してくれるか。」 と尋ねて、罪人が肯うと、「首が刎ねられた後、あの飛石に噛みついてみるがいい。」と述べた。 そして罪人は刎ねられたが、首は転がって行くと見るや、突然、跳ねあがって飛石の上端に噛み付いた。 それで、殿様以外の人々は酷く恐怖し、妄執を抱く亡霊の為の施餓鬼供養を上申するに至る。 殿様は「彼奴の臨終の怨念は恐ろしいものであったが、私が彼奴に怨みの徴を見せてくれと言った時、 彼奴はその挑発にのった。私は彼奴の気持ちを復讐からよそへそらしたのだ。彼奴は是が非でも飛石に噛みつこうと固く決心して死んだ。 そしてその臨終の際の思いを果した。それ以外のことはもはや念頭に微塵もなかった。念頭からすっかり消えていたのだ。 だからこの件に関してお前等がこれ以上くよくよ心配するには及ばない」と返した。 実際、死んだ男はそれ以上別になんの祟りもひきおこさなかった。まったく何事も起らずじまいだったのである。 >''酷似したもの'' ・山崎美成(よししげ)『世事百談』(天保十四年<一八四三>刊)巻三の二十三「欺て冤魂を散(さんず)」 ・馬場文耕『皿屋舗辨疑録』(宝暦八年<一七五八>序・写) 山崎美成のものは殿様ではなく主人、馬場文耕のものは人切役になっている。 また、馬場文耕のものは峰打ちをし、罪人の気が逸れた瞬間に殺すことで祟りを避けた。 #br ・馬場文耕『皿屋舗辨疑録』(宝暦八年<一七五八>序・写)十「伝通院三日月了誉上人、菊が怨念を鎮め給ふ事」 ・祐佐『太平百物語』(享保十七年<一七三二>)巻一の四「富 次郎娘、蛇に苦しめられし事」 両方とも蛇が女に恋をして付き纏うのを退治する話。同じく気が逸れた瞬間に殺すことで悪霊になるのを避けた。 祐佐のものは蛇の執着が強くて何度も蘇り、困っていたところに僧侶が訪れた。 ***第七講目の内容 策略② [#t0a3d1c2] >''『多聞院日記』(室町末~江戸初)巻四、天文八年七月の条'' (要約) 少女に蛇がずっとくっついている。殺しても何度も蘇る。 古禅僧が来て、少女に座敷を何遍も歩かした。蛇もその後ろに付いて歩いている。 何回か往復した時に禅僧が蛇の尾を踏み、蛇は鎌首を上げて振り返り睨んだ。 その瞬間に禅僧はふっと摑んで剃刀で殺した。そして「もう蘇らない」と言って、 「臨終の一念は肝要なのだ。この蛇は死に際に瞋恚(怒り)に没頭して少女への執念を忘れたので、甦れないのだよ」などと説明した。 >似た物語 -小山田与清『松屋筆記』(文化末年(-一八一八)頃~弘化二年<一八四五>頃)巻七十八の四十五「蛇の付たるを治せる談」 小山田与清(おやまだ ともきよ)は明治の国学者。 -真田増誉『明良洪範』(元禄年間<一六八八〜一七〇四>編か)&br;→名君良臣の洪範ともなる佳話を集めたもの。文禄・慶長(一五九二〜一六一五)頃から元禄頃までの話をとりあげる。 曹洞宗を開いた道元和尚を称える内容が含まれる。 -熊沢淡庵『武将感状記』(正徳六年<一七一六>刊)→天文〜慶長年間(一五三二〜一六一五)の名将・勇士の忠義・武勇の美談を集めた軍記。 軍記物である。道元和尚の活躍を載せる。 また、平仮名本『因果物語』(寛文年間<一六六一〜一六七三>刊)巻六の四「非分にころされて、怨をなしける事」には 気を逸らして殺さなかったことで祟りが起こったことが描かれる。 ***第八講目の内容 ろくろ首① [#a2cbb33f] #region(テクスト) ''テクスト'' >''[[小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「ろくろ首」>https://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/50327_35773.html]]'' 武士だった磯貝武連が出家して僧「囘龍(回龍)」となり、諸国を行脚していたある時、甲斐の山中で木こりの小屋に泊めてもらった。 深夜に目を覚ますと、その場にいた五人の体には胴体しかなく首がないことに気づく。 彼らが夜になると首を飛ばして獲物を探す「ろくろ首」だと悟った文献の知識に従い、 ろくろ首たちが首を離して飛び回っている間に彼らの胴体を家の外の茂みに隠した。 首たちが戻ってきて胴体がないことに気づくと、回龍に襲い掛かったが、 回龍はもと武士であり、勇敢かつ怪力で、手近な若木を引き抜き武器として、飛び回る五つの首を次々と叩き落とした。 四つの首は逃げ去ったが、主人である木こりの首だけは激しく抵抗し、乱打されながらも必死に回龍に飛びつき、遂に回龍の左袖に食いついた。 回龍は、その首を何度も殴りつけたが、首は袖から離れず、やがて長い呻きをあげて動かなくなり、死んだ。 しかし、その歯は固く袖に食いついたままで、回龍の力をもってしても顎を開かせることはできなかった。 #br 夜が明けると、隠した胴体と逃げ去った四つの首は忽然と姿を消していた。回龍は死んだ木こりの首が左袖に噛みついたままの状態で、旅を続ける。 信州諏訪の町に入ると、「生首を袖につけた僧侶がいる」と噂になり、騒ぎ立てる群衆によって捕吏(とりて)に捕らえられた。 役人たちは、その首を回龍が殺した人間の首だと考え、公然と罪をさらすとは何事かと回龍を責める。 回龍は微笑んでいるだけで何も答えなかったが、翌日役人の前に引き出された際、質問に対して大声で笑い、袖の首は自分がつけたものではないと話す。 その場にいた一人の老人が、それは珍しいろくろ首の仕業だと証言し、 また、回龍が武士時代の名を明かすと、その名声を知る人々が多かった為、彼は無罪放免となった。 #br 袖の首を元の小屋に戻し、他の身体と一緒に葬ろうと決めた回龍は諏訪を出て間もなく、追いはぎに遭遇し、衣類を脱ぐように命じられる。 回龍がこの首はろくろ首だと説明すると、追いはぎは「それは幸運なことだ」と言い、噛み付いた衣ごとその首を取って行った。 その後、ろくろ首の首であると気づき、恐怖に駆られた追いはぎはかつての小屋を探し、供養しようと思った。 追いはぎは首を小屋の後ろの茂みに埋めて塚を築いた。これが今も残るろくろ首の塚だと語られて物語は終わる。 >''十返舎一九『怪物輿論』(享和三年<一八〇三>刊)巻四の「轆轤首悕念 、却報福話」'' (抜粋なし) #endregion #hr 小泉八雲の「ろくろ首」と比較すると、小泉八雲のは風景の描写が追加されていると分かる。 (例:「美しい晩でした。空には一点の雲もなく、風もなく、月の光で草むらがくっきりと濃い影を落とし、(以下省略)」) #br また、十返舎一九の内容を見てみると、武勇の称賛が主である。(題名も「却って福を報せる話」である。) 小泉八雲は上記の要素を取り除いて不思議な話にまとめた。 十返舎一九は古い書物で表記方法も読み方も難解である。外人である小泉八雲にはとてもきつい。(なんなら日本人でも辛い。) 果たして、妻のセツは八雲の代わりに読めたのか。更に言えば、読めたとしても八雲は耳で理解できるのか。 #region(「ろくろ首」の種類) ''「ろくろ首」の種類'' ろくろ首は元々、首が離れて飛ぶ種類が主だったが、歌舞伎や絵草紙といった視覚メディアが普及するに連れて伸縮する首で繋がっている種類が多くなった。 これはぱっと見て首が離れる怪異だと判るようにする必要があったから。 |飛頭型|頭が胴体から完全に分離した状態で、頭の部分が飛行するもの。| |筋首型|筋のようなもので頭と胴体が繋がっているもの。| |首長型|伸縮する首で頭と胴体が繋がっているもの。| 参照:横山泰子「近世文化における轆轤首の形状について」(小松和彦編『日本妖怪学大全』、小学館、二〇〇三年、所収) #endregion ***第九講目の内容 ろくろ首② [#w8044242] #region(テクストと考察) ''テクストと考察'' >''寺島良安『和漢三才図会』(正徳二年<一七一二>刊)巻十四「外夷人物」「飛頭蛮 俗に云ふ、轆轤首」'' 三才図会に云はく、大闍婆国の中、頭を飛ばす者有り。其の人、目に瞳子無くして、其の頭、能く飛ぶ。 其の俗に、祠る所、名づけて虫落と曰ふ。因りて、落民と号す。 漢の武帝の時、因■[忄+尸+辛]国、南方に使ひす。解形の民有り。能く先づ頭をして南海に飛ばしむ。 左の手は東海に飛び、右の手は西沢に飛ぶ。暮に至りて、頭、肩の上に還る。両の手、疾風に遇へば、海水の外に飄へる、と。 (以下省略) →『斉諧俗談』(宝暦八年<一七五八>刊)巻三「飛頭蛮」は、『和漢三才図会』の『三才図会』から『太平広記』の引用箇所を、ほぼそのまま引用する。 >''「不思議の境(五十)悪剣「籠釣瓶の怪」(『東京毎日新聞』明治四十五年<一九一二>七月二十八日付)'' *次号の末尾に、「悪剣籠釣瓶の怪」は、「轆轤首の怪」の誤記であったという注記がある。 九州菊池氏の臣に、磯貝平太衛在門武行と云ふ人がゐた。永享の役に、菊池一族悉く 討死し果てた中に、武芸傑れた彼は、只一人生存つた。 そして、自ら髪を剃つて、怪龍入道と称し、日本全国を跨 に掛けて、ひそかに勤王の士と謀し合せ、南朝の為めに只管精忠を励んでゐた。 (以下省略) >''「不思議の境(五十一)轆轤首の怪(二)」(『東京毎日新聞』明治四十五年<一九一二>七月二十九日付)'' こりや、お化けの幻影か、さもなくば話にのみ聞いた轆轤首の住 家へ勾引かされたか、■らかだ………。 &color(Red){捜神記};に、若し、頭のない轆轤首を見つけて、その体躯を他処へ移すと、 その頭は決して二度と首に密着かないし、その又頭が帰つて来て、体躯の動かされたのを見ると、 三度まで床へ打つかつて、鈴のやうに転がりながら非常に憤ほり慨いて、直ぐ喘ぎ死んでしまう、と書いてあるのを想ひ出して、 こりや轆轤首で、私に祟るぢやないか、それなら衲は捜神記の教訓を解釈することが出来やう………。 (以下省略) >''「不思議の境(五十二)白洲で轆轤首の詮議」(『東京毎日新聞』大正一年<一九一二>八月二日付)'' (内容省略) >''「不思議の境(五十三)轆轤首を五両に売る」(『東京毎日新聞』大正一年<一九一二>八月七日付)'' (内容省略) ↑『東京毎日新聞』のは小泉八雲の轆轤首を語り直したもの。 >''「涼台夜話 ろくろ首考」(『福島民報』昭和八年<一九三三>八月五日付)'' 「信州にある伝記」 この話は、非常に興味があるが、余り長くなるので控えるか。 怪童といふ坊さんの話で、一家五人、揃ひも揃つてロクロ首の家に泊められた。 &color(Red){捜神記};に記されてゐるロクロ首の條に、首のない身体を見た時は、その胴体を他の場所に移して了ふと、首が帰つて来ても最早元に納まる事は出来ない。 悲憤して、床に自らを打ちつけて苦悶し、遂に死ぬものだ、と教へてゐる。 怪童は、それを想ひ出して実行した所、五つのロクロが怒つて、その一つは彼の法衣に嚙付いて、金輪際離れまいとした。 仕方なしに、このまゝ歩いて信州の諏訪まで来が、人殺しと間違へられて捕へられた。 役人の長老が、一つの考証を述べる。 即ち、ロクロ首は唯の人殺しと違つて、切れ口がすべすべしてゐて、而も赤い文字のやうなものが首のほとりにあると、南方異物志を挙げて、殺人罪でないことを弁護する。 局面一転して、彼は拝領ものまでして、又々旅に出る。 ……◆…… 今度は強盗に出合ふが、強盗氏が彼の勇胆に舌を巻いて、自分に譲つてくれ、コケ嚇かしにもつて来いの品だ、といふ。化物だがいゝか、と断つて、とう〱与へる。 強盗氏は、諏訪の町へ来て、怪童の話を聞き、ロクロ首だといふことを始めて知る。 恐ろしくなつて、元の山中の胴体の所へ持つて行つて、共に葬つてやらうとしたが、最早、胴体は見つからなかつた。頭だけを埋めて、施餓鬼をしてやつたといふことだ。 &color(Red){甲州の山奥の話であるといふが、伝説としては信州の方に広まつてゐるもので、甲斐では語られてゐない};。 →轆轤首に関する概説と、四話の轆轤首譚を掲載する。 「甲州の山奥の話であるといふが、伝説としては信州の方に広まつてゐるもので、甲斐では語られてゐない」は嘘である。 新たな伝承が創り出されたもの。 #endregion ***第十講目の内容 因果話① [#pb18678a] これらは後妻打ちの変種だろうか? #region(テクスト) ''テクスト'' >''小泉八雲「因果話」(『霊の日本』、明治三十二年<一八九九>所収)'' (要約) ある大名がの奥方が、死の床に伏していました。本人も死期を悟っているようでした。 文政十年の秋口から、ずっと床についたままで、やがて文政十二年――西暦でいうと、一八二九年――の卯月(四月)、桜の頃を迎えようとしていました。 奥方は庭の桜木や春の喜びに思いをはせていました。子どもたちのこと、そして殿のあまたいる側室、とりわけ、十九になる雪子に思いを巡らせていました。 愛しい妻に向かい、大名はを死後の供養をしっかりすることなどを伝えました。 奥方は、目を閉じたまま、蚊の鳴くような声で言いました。 「もったいないお言葉を頂戴し、まことにかたじけのうございます。 ……おおせの通り、三年の長きにわたり病の床に伏しております間、あたうかぎりのご看護とお心遣いをいただきました。 ……もはや迷うこともなく、死出の旅路へ立つばかりでございます……。 この期に及んで、些事にとらわれてはならぬと存じますが、最後にひとつだけお願いがございます。ただひとつ……雪子をここへお召しくださいませ。 わたくしは、あの娘を妹のようにいつくしんで参りました。ですから、このお屋敷のことなど、いろいろと頼んでおきたいのでございます」 #br お召しをうけた雪子は、命令通り、奥方の床の傍らにひざまずきました。奥方は目を開き、雪子を見つめて言いました。 「ああ、雪子、よく来てくれました。……嬉しいこと……わたくしの声がよく聞こえるように、もう少し近うお寄り。大きな声が出ないのです。 ……雪子、わたくしはもう長くありません。 殿には、万端つつがなくお仕え申し上げるのですよ。わたくしの亡き後は、あなたにわたくしの立場を引き継いでほしいと願っているのですから。 ……末長く、殿のご寵愛を得られるよう、お努めなさい。ええ、わたくしの幾百倍もね。そうすればすぐ、正室にしていただけるでしょう。 ……くれぐれも、殿のことをお願いします。ほかのおなごにご寵愛を奪われることなど、ゆめゆめありませぬように… …あなたにこれだけは言っておきたかったのです……分かりましたね」 雪子は、答えて言いました。 「貧しく卑しい出のわたくしが、殿のご正室になど、めっそうもないことでございます」 「お黙りなさい」 奥方はかすれ声で、雪子の言葉を制しました。 「&color(Red){うわべをつくろうばかりの話を、取り交わしているときではないのです。}; &color(Red){お互い本心だけでお話をしましょう。わたくしが死ねば、そなたはきっとお取り立ていただけるはずです。};」 「……ああ、忘れるところだった。そなたにお願いがあったのです。庭に八重桜があるでしょう。 おととし、大和の吉野山から運ばせたあの木が、今ちょうど満開だと聞きました。 あの八重桜が花を付けたところを、是非とも見たいのです。もうじき、わたくしは死にます。 その前にどうしても、あの木を見ておきたいのです。 お願い、庭に連れていって。雪子、今すぐに――桜が見えるよう……そう、わたくしをおぶって。そなたの背におぶって、連れていっておくれ……」 #br 雪子が奥方を桜が見えるところに連れて行くために背負う時、 奥方は人間業とは思えぬほどの力をふりしぼって起き上がり、雪子の肩にしがみつきました。 けれども、立ち上がるやいなや、やせ細った手を雪子の肩口から着物のなかへと滑りこませ、雪子の乳房をぐいとつかむと、突如、不気味な笑い声を上げました。 「ついにやった! 望み通り、桜の花を手に入れた。――庭の桜より、こなたの桜 (日本の詩文では、女性の身体的な美しさを桜に譬える。それに対して、内面的な美しさは梅に譬える。(原注)) に心が残り、死ぬに死ねずにいたのだ。これでやっと望みがかなった。ああ、嬉しや」 奥方はこう叫ぶなり、目の前で腰をかがめている雪子の背に倒れこみ、息絶えました。 お付きの者たちが、直ちに雪子の肩から奥方の体を引き離し、床に横たえようとしました。 ところが、不思議なことに、奥方の手が雪子の胸にくっついたまま、まるで雪子の生身の一部と化してしまったかのようでした。 #br 雪子の両の乳房にしっかりと食い込んでしまっており、無理に引き離そうとすると、血を流さずにはすみません。 指が食い込んでいるためというより、手のひら全体が、乳房の肉に食い込んでいるためでした。 #br 雪子の乳房から奥方の手をそぎ落とそうとするのは、危険きわまりないというのです。 そこで診立てどおり、奥方の手首のところから切断されました。 それでも、ふたつの手は胸に張りついたまま、やがて黒ずみ、ひからびていきました――まるでずっと昔に死んだ人間の手のように。 #br 雪子の胸に張り付いた奥方の双の手は、血が通わず、萎びたように見えても、死んでいるわけではなく、時折り大きな灰色の蜘蛛のようにそっとうごめくのでした。 さらに夜ごと、決まって丑の刻になると、乳房をぎゅうぎゅうつかんでは締めつけて、雪子の身を苛み続けました。この痛みは、寅の刻になるまで止みませんでした。 #br 雪子は髪を落とし、「脱雪」という法名に改めて、托鉢の尼になりました。 亡き奥方の戒名を記した位牌を作らせ、肌身離さず携えて、諸国を巡りました。 そして、来る日も来る日も、位牌の前で畏まり、亡者に許しを請うては、嫉妬に燃えさかる魂が安らぎを得られるよう、お勤めをしておりました。 しかし、これほどの責苦をもって報いる悪因縁が、そう簡単に浄められようはずはありません。 夜ごと丑の刻になると、両の手が、尼脱雪を苛み続け、十七年もの月日が流れました。 尼脱雪が最後にその話をしたのは、下野の国(現在の栃木県)河内郡田中村に住む野口伝五左衛門の家で、 一夜の宿を乞うたときのことだと伝えられております。それは弘化三年(一八四六年)のことだったそうです。 そののち、尼脱雪の消息はふつりと途絶えてしまいました。 >''『百物語』(明治二十七年<一八九四>、扶桑堂刊)'' 第十四席 松林伯円(二世松林伯円(一八三二―一九〇五)。講談師。) #br 諸君のお咄は実録にて、しかも面白い事計り。その中へ小生の話は、何か昔の草双紙めくとお笑いもありましょうが、 これは全くの事実にて、いささかも小生が見て来たような虚ではありません。 (以下省略) #endregion >''考察'' 小泉八雲「因果話」の元ネタは『百物語』であろう。 「日本の詩文では、女性の身体的な美しさを桜に譬える。それに対して、内面的な美しさは梅に譬える」という註釈は海外向けに書いていたから。 小泉八雲のでは「あまたいる側室」となっているが、『百物語』では「奥方の外に愛妾二人 」となっている。(数が限られた方が嫉妬が強まるからか。) #br うわべをつくろうばかりの話を、取り交わしているときではないのです。 お互い本心だけでお話をしましょう。わたくしが死ねば、そなたはきっとお取り立ていただけるはずです。 という部分は全て嘘だった。この後、雪子は遠慮するようなことを言うが、雪子も嘘を吐いていたとしたら、どうだろうか。 因みに、元ネタにはこの部分はない。 #br 『百物語』では、嫉妬は憚るべしという儒教的な説教が挿入されるが、小泉八雲はそれを取り除いて書いた。 ***第十一講目の内容 因果話② [#o422268a] #region(テクスト) >''根岸鎮衛『耳囊』(天明~文化<一七八一~一八一八>写)巻十の「不思議の尼懺 悔物語の事」'' 文化巳の年(一八〇九年。)の春、&color(Red){親友の来りて語りける};は、「去年の事也、&color(Red){知れるもの};大和廻りして、大和に奇成咄しに聞し由。村名は忘れたり。 (以下省略) ※つまり、友人の知り合いの話 >''片仮名本『因果物語』(寛文元年<一六六二>刊)&br;巻上の五「妬み深き女、死して男を取り殺す事付女死して蛇となり男を巻く事」①'' (抜粋) さて作兵衛、伏せりたる処を、彼の女房、来たりて首を締む。作兵衛驚き起き上がりければ、其の儘消えてなし。 度々首をしめけるに依つて、様々に弔ひ祈りけれども叶はず。昼夜倶に家に居て、人の目にも見ゆる也。 作兵衛、畏ぢ恐れて、此彼に宿を替えけるに、結句作兵衛より先に行きて顕はれ居る也。 何ともせん方なく、作兵衛煩ひ付き終に死去する也。其の子、今越前にあり、越後にて隠れなきこと也。 >''西村市郎右衛門(未達)『新御伽婢子』(天和三年<一六八三>刊)巻三の三「死後の嫉妬」'' (抜粋) 彼の亡者、りんがくびを引きぬき、たぶさをつかみ指し上げ、瞋れる眼を見ひらき、生けるがごとくして、死して居たりけるこそ、浅ましけれ。 後々、此の子細を聞くに、亭主、此の召しつかひのりんに目をかけけるとて、日比、恨みいきどほり、おそろしき迄に嫉妬(ねたみ)しが、 其の思ひに煩ひて、むなしく成りし罪障、なほ残りて、死後に恨みを報ひけむ。 #endregion >''考察'' 儒仏の教えでは、嫉妬は家の乱れに繋がり、やがて地域の乱れに繋がるとされる。⇨女訓 #br 女の怨みは、男に向かず、女に向かいやすい。 片仮名本『因果物語』では「作兵衛に恨み有る」と言いつつ、女の首を持って来いと言っている。(最終的には作兵衛も死ぬが、) また、片仮名本『因果物語』にはタクシー怪談の原型と見られる部分がある他、暴力的な描写(先生の大好物)が含まれる。 ***第十二講目の内容 幽霊滝の伝説① [#mc7a2b19] #region(テクスト) ''テクスト'' >''[[小泉八雲(ラフガディオ・ハーン)「幽霊滝の伝説」(『骨董』明治三十五年<一九〇二>所収)>https://www.aozora.gr.jp/cards/000258/files/59432_69221.html]]'' (要約) 明治の頃、鳥取県の黒坂に小さな麻取り場があった。ある冬の夜、女たちが囲炉裏を囲んで怪談話に興じていた。 話に興が乗るに連れて肝試しをしようということになり、黒坂の村から離れた山の中にある幽霊滝に行って賽銭箱を持ってくることになった。 ところが誰も尻込みして名乗り出ようとしない。そこで賽銭箱を持ってきた者に、今日取れた麻をみんな上げようということになった。 するとお勝という気の強い女が肝試しに名乗り出た。 #br お勝は赤児を半纏にくるんでおぶり、幽霊滝へと向かった。 冬の晴れて凍えるような夜空の下、山道を歩いて幽霊滝までやってくると、真っ暗な中にかすかに賽銭箱が見える。 お勝が賽銭箱に手を伸ばすと「おい、お勝さん!」と咎めるような声が滝つぼの中から響いた。 お勝は恐怖に立ちすくみながらも賽銭箱を取ると、またしても「おい、お勝さん!」と、もっと強くとがめるような声が響いた。 #br お勝は後も見ずに走り去り、暗い道を駆けに駆けて麻取り場まで戻ると、賽銭箱を女たちに得意げに見せ、幽霊滝での奇怪な出来事を話した。 お勝の勇気をたたえる声がわき上がった。ほっとしたお勝が赤児に乳をやろうと半纏を解くと、中から血にまみれた赤児の体が転がり出た。赤児の首はもぎ取られていた。 >''平垣霜月「幽霊滝」(『文藝倶楽部』七巻十一号、博文館、明治三十四年<一九〇一>八月)'' 出雲の隣国の伯耆に黒坂と云ふ町がある。此黒坂町は、我が住むで居る松江から恰度廿里程有つて、余り賑やかな町ではない。 此町はづれに一條の滝が有る。此滝は、昔から幽霊が出ると言伝へて有る。 此滝の側に、滝大明神と云ふ社が有る。此滝大明神には、二歳に成る幼児は連れて参る事が出来ないのである。 #br 夫れには少々由来があることで、其を探ねると、明治の初頃(年は確とは分らず。)、此黒坂町に麻取場があつて、其処へは下賤の娘や女房達が麻取りに行くので有る。 或冬の夜、寒いものだから、皆休息しようと云ふので、爐の周に集つて浮世話をして居つた。 ところが、中の一人の女が云ふには、「今夜、あの幽霊滝へ行つて、大明神様の賽銭箱を取つて来た者には、私等が取つた麻を皆与うじやないか」と、 退屈まぎれに言ふと、皆の者が賛成した。他の者が言つた麻を皆もらふのだから、誰も欲しいが、さて、幽霊滝へ行く事が恐ろしいから、行く者がない中から、 大工の女房が、「それじや私しが行かう」と云つて、其年に二歳になる男の子を背負つて出掛けた。 後に残つた者は、彼の女の欲よりは、むしろ其剛胆に驚いた。 #br やがて、かの大工の女房は、町はづれの幽霊滝の上にある滝大明神さんへ参つて、さい銭箱も取つて帰らうとした時に、 其幽霊滝の中から、「ヲイ、おかッさん、いかッサン」と呼んだ。 何程剛胆な女と雖も、少しは恐れた様子にて、一生懸命にサイ銭箱をかゝへて、麻取場を向けて走り帰つた処が、誰もが其安全なのに驚いた。 (以下省略) ※「おかッさん」とは他人の女房を指す方言。「奥様」の訛りか。 >''鳥取の口碑伝承「龍王滝の伝説 天狗の話」'' ある夜のこと、中菅村の女たちが麻取場に集まって、「お」を作っていた。 世間話に花が咲き、やがて話題がとぎれた頃、誰言うとはなしに肝試しに話が移っていった。 「あの滝山神社には天狗が住んでいて、子供の首を取ってしまうそうな。誰かあの神社まで行って賽銭箱を持って来る者はおらんかなあ。 もし行って来れば、「お」をみんな与えるのにな」と、ある女が言った。 誰もが冗談半分のことと聞き流していたが、中菅村に嫁いだばかりの若嫁が、生活のこともあってか、今から出掛けてくると言い出した。 「昼でも暗いあの参道を、若い女が一人で出掛けて来るって?」 この肝試しを言い出した女が、冗談まじりに言った。誰も若嫁が滝山神社に行くと、思ってはいなかった。 だが、若嫁は二才になったばかりの赤児を背負うと、麻取場を出て行こうとした。 (中略) 随身門の所まで帰って来た時のこと、いきなり頭の上から大きな笑い声が聞こえ、振り返ってその声の方を見ると、随身門の上に天狗が坐っていた。 「何がおかしい」賽銭箱を取ったことを笑われたと思い、若嫁は大声で怒鳴った。 すると、天狗が「首の無い赤児を背負っておかしいわ」と答え、愉快そうに笑っている。 #br ※「お」とは、アサの古名、またはアサ,カラムシの茎の周辺部の繊維からつくった糸のこと。 >''『諸国百物語』(延宝五年<一六七七>刊)巻三の二十「賭づくをして、我が子の首を切られし事」'' (要約) 紀州のある里に、侍が五、六人集まって話していた。 ある者が「その里より半里ばかり行きて、山際に宮あり。宮の前に川あり。この川へ、をりをり死人流れ来たる。 まま誰にてもあれ、此の川へ今宵行きて、死人の指を切り来たらん者は、互ひの腰の物をやらん」と言った。 集まった侍の中に欲の深い臆病者がいて、「それがし参らん」と、賭けに乗った。 しかし、臆病者なので結局、代わりに妻が行くことになった。 (以下省略) >''「Bonさんのひとこと(「幽霊滝の伝説」の項)」)'' 八雲は、一八九二年夏の隠岐旅行の帰路、日野町を通過していますが、物語にある神社(滝山神社)や滝(龍王滝)を訪れてはいないようです。 『文藝倶楽部』第七巻十一号掲載の平垣霜月著「幽霊瀧」からの再話と考えられます。 原話と明らかに異なるのは、主人公に安本お勝という固有名詞を与えたこと。 原話では幽霊滝の中から「ヲイおかッさん」と呼ばれるのですが、「おかッさん」は固有名詞ではなく、他人の女房の総称。 いまでも出雲地方では「おかッつぁん」という言い方がその意味で使われます。この再話が人をひきつけたのか、新たな伝説が誕生します。 わが子の首をもぎ取られたお勝の涙が池となり「お勝の池」と名付けられたというものです。 滝山神社は黒坂町菅地区の氏神で、県境の峠を越えた岡山県新見市では 「滝山に二歳の子を連れて行くと首をとられる」という伝承もあるようです(大島廣志「『幽霊滝の伝説』の変容」『民話』)。 #br 地元日野町では、二〇一五年にこの怪談を活かした種々の記念事業を行いました。(後略) *小泉凡『小泉八雲の怪談づくし』(八雲会、二〇二一年)による。改行を行った箇所がある。 #endregion >''考察'' 小泉八雲の曾孫であるBonさんの記事にもある通り、『文藝倶楽部』のものが元ネタだとかねてより指摘されている。 #br 小泉八雲の『幽霊滝』では、中菅が黒坂になり、滝山神社から賽銭箱を持ち帰り、主人公の若妻は大工の女房お勝、そして天狗は幽霊となって描かれている。 「龍王滝の奥に奥院中滝と奥院仙人滝のふたつの滝があって、その側にある天狗岩が滝山神社の天狗伝説とつながった。 その天狗のことを小泉八雲は幽霊と解釈したようです」 郷土史家 森恵弘 氏 談 ***第十三講目の内容 幽霊滝の伝説② [#b23e2b2d] 首を失った赤子。怪異の仕業らしい。でも本当にそうだろうか? 母親が我が子を殺した、としたらどうだろうか。八雲と八雲の母の関係を思い出すと、違った見方が出来る。 #region(テクスト) ''テクスト'' >''『諸国百物語』(延宝五年<一六七七>刊)巻一の九「京東洞院、かたわ車の事」'' (要約) 片輪車という化け物が東洞院通を夜な夜な往来するので、日暮れになると人々は通るのを憚った。 ある女が見たいと思い、店格子の内から通りを窺っていると、片輪車が人の引き裂かれた腿を提げて現れた。 片輪車は人間みたいに「いかにそれなる女房、われを見んよりは、内に入りてなんぢが子を見よ」と言う。 引き裂かれた腿は三歳になる我が子のものであった。 女の身とて、あまりに物を見んとする故也。 #br ※片輪車とは器物の妖怪の一種。この話とは別に、「引く人もなき車の片輪なるに美女一人乗りき」(『朝野雑載』)という型のものもあった。 >''『諸国百物語』(延宝五年<一六七七>刊)巻三の一「伊賀の国にて天狗座頭にばけたる事」'' 伊賀の国に里遠き山に堂あり。この堂に化け物ありて、七つ過ぐれば人行くことなし。 若き侍四、五人よりあひて、「誰か此うちに、かの堂へ行きて一夜を明かす者あらんや。もし行く者あらば、我々が腰の物をやらん」といふ。 そのなかに、歳三十二、三なる若者一人、すくと出て、「それがし参らん」と云ふ。 #br (中略。題名の通り、座頭(僧形の盲人)に化けた天狗に騙されて、腰の物(刀)を奪われた。) #br その時、かの若者も気を失ひて死に入りけるが、夜もやう〱明け方になりければ、かの賭したる真の侍ども、かの堂へ行き見れば、丸腰になり死しゐたり。 やがて、呼び活け、気つけを飲ませなどして、やう〱蘇り、さて、事の様子を尋ねければ、うつら〱と物語して、みな〱連れ立ち帰る所に、 件の腰の物、三腰ながら五、六町ほどかたはらの杉の木の枝に掛け置きたり。 かの若者、あまりに武辺に高慢せしゆへに、天狗のなすわざにてありし、と也。 その後、かの若者も心うつけて、気違いのやうになりしと、その所の人、語り侍る。 #br ※「死ぬ」とは、ここでは気を失うこと。 >''「お勝の池」(岡山県阿哲郡神郷町下神代門前の千原美屋野さん(一九〇八年生れ)談)'' *大島廣志「「雪おんな」伝承論」(大島廣志『民話――伝承の現実』、三弥井書店、二〇〇七年) 大昔のことで、いまの時代とは違い、藁仕事で収入を得ており、夜、近所の女が藁を持ち寄っていろんな物を作り、それを売って金もうけをしていた。 ある晩のこと、一人の女が、「今晩の仕事がすんだら、誰か滝さんへ行って賽銭箱を持って帰れ。 持って帰った人に、今晩のお金を全部あげることにしょうではないか」と言い出し、それで話ができたそうだ。 日南町(鳥取県)黒坂の滝さんは、山の中で大変淋しいところで、誰も行く人はいないと思っていた。 ところが、お勝という女が、二歳になる子を連れていたが、「私が行く」と、お金が欲しいばっかりに言い出した。 仲良しの人が止めるのも聞かず、子どもをおぶって谷川のほとりの小さい坂道を一生懸命に登り、 谷の水音がなんともいえない淋しい神社にたどり着き、賽銭箱を抱えて帰って来た。みんなはびっくりして、 「お勝さん偉い、偉い」と大変ほめたそうだが、お勝さんの背中を見ると、子どもの首が見えない。みんなは大変驚いて、 「お勝さん、子どもの首がない、首がない」と騒ぎだした。お勝はおそるおそる子どもを降ろしてみると、首から上がない。 お勝は真っ青になって震えだし、なんとしたことだろうと泣きだした。いくら泣いても仕方がない。 それからもお勝さんは泣くことが止まらず、泣いた涙で池ができた。それは一間(約一・八メートル)四方ぐらいの池だが、 涙でできたお勝の池と名が付いた。それから二歳子はお宮に連れて行くなというようになった。 >''大島廣志「若者たちのこ・わ・い話――その五」'' *大島廣志『民話――伝承の現実』、三弥井書店、二〇〇七年。(初出は、『民話と文学の会会報』五十二巻、一九八八年) ある夏の夜、子どもたちはお寺に集まった。裏のお墓で肝だめしをすることになっていた からだ。十人ほど集まると、一番上の子がいった。「みんな恐いか」 「恐い、恐い」「恐くない、恐くない」静まったお寺の中に子どもの声が響いた。 また、一番年上の子が言った。 「オレは、今日の朝、父さんから一万円をもらった。それを昼間のうちに裏の墓の一番奥にあるあのでっかい石の前にビンを入れて置いてきた。 今から順番を決めて、肝だめしをやって、そのビンを持ってきた奴に、その一万円をやる。ただし順番はくび引きだぞ」 子どもたちがくじを作っていると、一人の女がフラフラとやってきた。その女はたいそうやせていて、よく見ると子どもをおぶっていた。女が言った。 「さっきあそこであなたたちの話を聞いていたのだけれど、どうか私にも肝だめしをやらせてくださいませんか。どうしてもお金が欲しいのです」 子どもたちはその女を見て、なんだかたいそう気の毒になり、仲間に入れてやることにした。 くじ引きをした。すると一番はその女だった。女は少し微笑んだ。 女が行こうとしたとき、一番年上の子が女にカマを渡した。.. 「何かあるといけないから、持って行きな」 女は暗い暗いお墓の中をフラフラ歩いて行った。 蛙が薄気味悪く鳴いている。手に持っているろうそくの明かりがチラチラと揺れて、まるで何かが動いているようだった。 しかし女は恐ろしさをこらえて歩いて行った。 しばらく行くと、一番奥の大きな石が見えてきた。女は石の前のビンを探した。ビンはすぐに見つかった。 女は喜んでもどろうとした。そのとき女の首に冷たい人間の手がさわった。 「ギャー」 女は走った。走って走って苦しくなった。すると今度は髪の毛を思いきり引っぱられた。 「ヒーッ」 女はまた走った。だがその手は髪の毛をしっかりつかんで離さない。女はカマをふった。.. 「ザクッ」 という音とともに手は離れた。 「帰ってきたぞー」 女は冷や汗でびっしょりになりながら息を切らせてもどってきた。 「おばさん、大丈夫かい」 「ああ、ほら、とってきたよ。一万円もらっていいかい」 そのとき、一人が悲鳴をあげた。 「おばさん、背中がまっかだよ。まっかっかだよ」 女は落ちないように必死でしがみついていた自分の子をカマではねたのである。 >''稲川淳二「八王子の首なし地蔵 お地蔵さんの祟り」'' #youtube(https://www.youtube.com/watch?v=1iVV_P4qK-k) #endregion >''考察'' 「お勝の池」(千原美屋野の談)の「二歳子はお宮に連れて行くなというようになった」というのは元々あった伝承だが、 「涙でできたお勝の池と名が付いた」という部分(由来譚)は、小泉八雲の語りが生み出した新しい伝承である可能性がある。 #br 『諸国百物語』「伊賀の国にて天狗座頭にばけたる事」は高慢な者が天狗に鼻を折るという伝承の一つである。 前回の講義に、幽霊滝とこの伝承が合わさったような話が出た。 #br 賭け事や肝試しの果てに怪異が現れるというテンプレート。 賭け事の結果として痛い目を見るのは大抵、女である。 『諸国百物語』「京東洞院、かたわ車の事」に「女の身とて、あまりに物を見んとする故也。」とあるのが興味深い。 ***第十四講目の内容 [#l7613d31] 振り返り ***第十五講目の内容 [#m2a0ec3d] 試験。紙媒体を持ち込み可能。学生証持参。 #br -問 小泉八雲の下記作品(【対象作品】)の中から1話とりあげて、江戸時代の文学作品や関連資料(近代以降の資料も含む)との関わりに言及しつつ、 とりあげた八雲作品の特徴や魅力に関する自身の考えを述べなさい。 (必ず江戸時代の文学作品は1話以上とりあげて、比較対象とする資料の情報や性質も記すこと)。 -対象作品 「葬られた秘密」・「鳥取の布団の話」・「策略」・「ろくろ首」・「因果話」・「幽霊滝の伝説」 比較対象とする資料の情報や性質の例:一夕散人『臥遊奇談』(天明2年<1782>刊)は、江戸時代の読本作品の1つである。 以下の解答例を参照して、対象・特徴(魅力)を、【 】も記して解答すること。 -解答例 【対象】 水飴を買う女 【特徴(魅力)】 本話は、亡くなった母親が幽霊となって夜毎に水飴を買い求め、墓中で出生した児を養うというものであり、「子育て幽霊」の話である。 本話の原拠は、中国・南宋時代の『夷堅志』所収の一話と考えられている。 原拠では、亡母が児に与える物が水餅ということになっているけれども、基本的な展開はほぼ同じといえる。 ここで着目しておきたいのは、日本における初出と考えられる『奇異雑談集』と、各地に高僧伝して伝わる口碑伝承との比較である。まず、『奇異雑談集』は・・・・・・ }} *コメント [#comment] #pcomment(,reply,20,)